井岡一翔と井上尚弥のドリームマッチ? 困ったことに那須川天心と武尊のような奥行きを感じないのが…。ビッグマッチに飢える両者のキャリアは交差する?

井岡一翔と井上尚弥のドリームマッチ? 困ったことに那須川天心と武尊のような奥行きを感じないのが…。ビッグマッチに飢える両者のキャリアは交差する?

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滅多に言わないラブコールは本気だぞ
ボクシング界盛り上げようじゃないか

降ってわいたようなひと言だった。
 
 
2021年MVPに選出された井上尚弥が自身のSNSに上記を投降したのが2022年1月23日。
 
同月14日にWOWOWのイベントに出演した際に発した
「異様な雰囲気を醸し出す試合」
「日本人同士の戦いとか」
「5階級制覇を目指すというコメントに期待する」
等のコメントを受けてのもの。
 
本人は明言しなかったが、これが井岡一翔を指していることは誰の目にも明らかである。
 
最優先はもちろん4団体統一。
だが、諸々の事情で実現が難しければ階級アップも視野に入る。
それ以外にも、5階級制覇を目指すと口にした井岡一翔との日本人対決も選択肢として持っているとのこと。
 
 
日本人初の4階級制覇王者であり、大晦日のリングに10年間立ち続ける井岡一翔と4年連続5回目の年間MVPを受賞した井上尚弥。
 
「自分がバンタム級から下げることはない」
「盛り上げようじゃないか」
井上の言葉の端々からは、明確な序列を主張するエゴが見え隠れする。
 
 
早くから“モンスター”と呼ばれ、すでに国内では無敵状態の井上にとって唯一のやり残し。
一度目の引退からの復帰、苦労の末に4階級制覇を成し遂げた井岡一翔が相手だからこそ心に響くものがある。
 
 
リップサービスかと思われた言葉が真実だった。
そのことを我々が理解したとき、静かだが確かなうねりが発生した。
 
ホントに勝ちやがったよフェルナンド・マルティネス。アンカハスとの打ち合いを制して王座初戴冠&井岡一翔との統一戦が消滅。まいったなオイ。クッソ複雑じゃんよ笑
 

10年間、井岡一翔は大晦日の舞台に立ち続けた

10年間。
井岡一翔が大晦日の舞台に立ち続けた年数である。
 
2011年のヨードグン・トーチャルンチャイ戦から2021年の福永亮次戦まで。
 
井岡一翔vs福永亮次感想。福永は中間距離で勝負しちゃったか…。その位置の井岡は達人級。でも井岡が下降線に入ってるのは間違いなさそう
 
生後0か月の赤ちゃんは小学4年生となり、新入社員は会社の中枢で活躍する中堅へと成長する。出世ルートまっしぐらだった40代もそろそろ役職定年を迎える頃。
 
2011年と言えば、あの東日本大震災が起きた年でもある。
遠いような近いような忌まわしい記憶。
 
もしかしたら、新人王戦を戦った選手の中にも大晦日の井岡を観て憧れを持った選手がいるかもしれない。
 
 
時代が動き、世の中が流れていく中で同じ舞台に10年間上がり続ける。
 
スポーツ選手の全盛期などせいぜい5、6年程度。
決して長くはない競技人生において、10年以上トップに君臨する井岡一翔の偉大さである。
 

キャリア最終章。やるべきことは対抗王者との統一戦のみ

ときに「強敵から逃げた」と罵られ、「試合がつまらない」と陰口を叩かれ。
それでも決められた試合を淡々と“こなし”、表立って不満を口にすることはせず。
 
目立った怪我や不調もなく年2、3試合のペースを守り続けてきた井岡の精神が限界を迎えたのが2017年。
4月のノックノイ・シップラサート戦を最後にリングから遠ざかり、次に姿を見せたのは大晦日の引退会見。2団体統一も成し遂げた3階級制覇王者がたった1人で会見に臨むという、何とも異様な光景がそこにあった。
 
 
あの会見から4年。
現役復帰を果たした井岡は苦労の末に4階級制覇を達成し、いよいよキャリア最終章を迎えている。
 
当面の標的はIBF王者ジェルウィン・アンカハス。
さらにその先にはファン・フランシスコ・エストラーダやローマン・ゴンサレスといったビッグネームとの対戦も見据える。
 
3戦連続で指名戦をクリアし、その中には史上最速で3階級制覇を果たした田中恒成もいた。
「格の違いを見せる」と豪語してリングに上がり、結果で示した井岡のやるべきことは対抗王者との統一戦のみ。
 
本人が常々口にしてきた“高み”“唯一無二の存在”に本当の意味で到達するための挑戦である。
 
井岡一翔vs田中恒成。井岡の重ねてきたものの重さが桁違い。ホントに勝ってよかった。黙して語らぬ視聴率大正義時代の最後の生き残り
 

夢の奪い合い。リングを降りる敗者の姿には勝敗以上の“何か”を感じる

ボクシングは言ってみれば夢の奪い合いである。
 
変動するランキングの中で日々しのぎを削り、選ばれし2人が“王者”という椅子をかけてぶつかる。
その過程で生まれる人間模様、踏み超えてきた敗者の思い、奪われた多くの夢を背負うことにより、目の前に広がる光景は重厚かつ奥行きのあるものへと変貌する。
 
「負けた側にも物語がある」という言葉はあまり好きではないが、少なくとも敗者にも勝者に引けを取らないほどの期待がかけられていたことは容易に想像がつく。
試合直後に勝者と抱き合う姿、リングを降りる際に客席に向かって頭を下げる姿からは、単なる勝敗以上の“何か”を感じざるを得ない。
 
 
勝負が決するその瞬間、奪う者と奪われる者の間に強烈なコントラストが生まれる。それはほかのどんなことよりも映画的である。
 
なぜなら彼らは“世界タイトルマッチ”というスクリーンの中の登場人物だから。
我々オーディエンスは客席に頭を下げる敗者の姿を観て、自分のいる場所がスクリーンの向こう側ではなかったことに気づかされるから。
 

井上尚弥と井岡一翔には那須川天心と武尊のようなドラマがない。那須川天心の言葉はまさに映画的だった

ところが、井上尚弥と井岡一翔の間にはドラマがない。
両者の歩んだ道のり、たどってきた時間があまりに違いすぎる。
 
井上本人は那須川天心と武尊の頂上決戦に刺激されたと言ったが、あの両者には6年間待望され続けた積み重ねがある。
 
2015年に那須川天心側から対戦を要求し、武尊は「K-1にくるならいつでも受けて立つ」とコメント。
独占契約のK-1での直接対決実現は困難を極め、その間那須川天心はRISE、KNOCK OUT、RIZINとさまざまな舞台で実績を重ねる。
 
一方の武尊もK-1王者としてWORLD GP3階級制覇を達成。心ないファンからの誹謗中傷に耐えつつ圧倒的な強さで連勝街道を進む。
 
そして迎えた2021年12月24日。
都内で会見が行われ、ついに2022年6月の直接対決が発表される。
 
さまざまな舞台で場数を踏み、実績と知名度を積み上げた那須川天心。
自分だけではなく、K-1の看板選手としてK-1に所属するすべての選手の思いを背負う武尊。
 
破天荒で一つの形にこだわらず、自分の活躍が格闘技界の活性化になると考える那須川天心に対し、武尊は“K-1こそ至上”の覚悟で会見に臨む。自由な発言を繰り返す那須川天心を黙って見据える姿には悲壮感さえ滲む。
 
ファイトスタイルも性格も好対照な両者が紆余曲折を経て交わる。その積み重ねが重厚なドラマを生み出し、我々オーディエンスは否応なしに彼らに惹きつけられるのである。
 
2021年末のRIZINの舞台で那須川天心が発した「僕からはじめた物語なんで、僕がしっかり終わらせてやろうと思う」という言葉はまさに映画的。リング内外の出来事もドラマの一部という確固たる証だった。
 
那須川天心vs武尊予想。やるなら2021年末のRIZINか? どっちでもいいからさっさと結論を出せよ。契約体重次第だろうけど、有利なのは…
 
だが、井上尚弥と井岡一翔はそうではない。
 
どちらもスクリーンの中の登場人物であり、それぞれの舞台で躍動する主人公であることには違いない。
それでも彼らのキャリアが交わることはこれまでいっさいなかった。
 
近づいては離れ、離れては近づきを繰り返してきた那須川天心と武尊とはこの部分で決定的な差がある。
 

あまりに傲慢で取ってつけたような“ラブコール”

「滅多に言わないラブコールは本気だぞ」
 
まるで年末の飲み会のようなトーンで発した井上尚弥のひと言は、親しみだけではない重さを伴って世間に届いた。
 
あまりに唐突で、あまりに傲慢。
弱肉強食の世界でトップに立つ者だけに許されたエゴに塗り固められた“ラブコール”。
 
 
注目の若手が登場するたびに「まるでマイク・タイソンのよう」「まるでマニー・パッキャオのよう」だと言われていたアレは、恐らくこの先数年をかけて「まるで井上尚弥のよう」に取って代わる。
 
ボクシング史に名を残すレジェンドへの階段を昇り続ける“モンスター”の気まぐれにより、井岡一翔のキャリア最終章は大きく変貌しようとしている。
 
これをどう捉えるかはそれぞれでいい。
井上尚弥の要求を傲慢で身勝手だと否定するか、コロナ禍における日本最大のビッグマッチと肯定するか。
僕を含めた外野は好き勝手に喚き散らし、スクリーンの向こうで展開されるストーリーの味付けを楽しめばいい。
 
だが、仮に試合が実現したとして、果たして本当に“特別な”ものになるのか。
井上が言う「異様な雰囲気を醸し出す」試合が生まれるのか。
「やってよかった」「日本ボクシングはまだまだ大丈夫」と誰もが思える試合になるのか。
 
後年、「まるで井上尚弥のよう」の一つとして語られる日がくるのか。
 
困ったことに、僕にはどこか空虚で行き当たりばったり、取ってつけたような結末が待っているように思えてならない。
 
 
10年以上“井岡一翔”を演じ続け、そこにいっさいの照れを感じさせなかった井岡一翔の最終章は、やはり4団体統一への挑戦であってほしい。
なぜならそれが僕にとっての井岡一翔という映画の結末だから。
 
 
 
ちなみにこれらはすべて僕の妄想である。
 
井岡一翔vs井上尚弥戦実現の可能性を考える。井岡に勝ち目があったとすればあそこかな? でも、あの頃の叩かれ方は異常だったよね
 

この先埒が明かなければ…。お互いにメリットもありそう?

まあでも、やりたければやったらええんちゃう?
 
コロナの影響でお互いに埒が明かないなら四の五の言ってる場合でもないでしょ。
 

「井岡選手が『5階級制覇を目指していきたい』というコメントが先にあったのがきっかけで。こちらから言ったわけではないので」

ジムの会長がこう言うってことは、すでに井岡側に声くらいかけてるんだろうし。


同門の八重樫東が負けたこともあって、大橋会長の井岡評はもともと高かったしね。
 
うまくPPVを宣伝して両者に2億円ずつファイトマネーを出せるくらい儲かれば井岡にとっても十分なメリットになる。
井岡としても、今からベドロ・ゲバラとかを呼ぶより思い切って井上の土俵に上がる方がよっぽどやりがいがあるんじゃないの?
 
 
何となくジャーボンティ・デービスvsレオ・サンタ・クルス戦と似たような結果になりそうだけど。
 
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