障がい者の機会損失を言いたいんだろうけど「ろう者の役はろう者が」 を強調しすぎ、差別という言葉を気軽に使いすぎだな。僕はやっぱりハフポストが嫌い

障がい者の機会損失を言いたいんだろうけど「ろう者の役はろう者が」 を強調しすぎ、差別という言葉を気軽に使いすぎだな。僕はやっぱりハフポストが嫌い

先日「ハフポスト」に下記の記事が掲載された。


2022年のアカデミー賞にノミネート(作品賞を受賞)された映画「コーダ あいのうた」。
 
耳の聞こえない「ろう者」とその家族について描いた作品で、監督と俳優の強い意向でメインキャスト3人にろう者が起用されたことが話題となっている。
 
 
近年ハリウッドでは「障がいのある人を演じるのはその障がいを持つ人であるべき」という風潮ができつつあり、実際にろう者の俳優が活躍する土壌も確立されてきている。
 
一方、日本の映画界はその分野でまだまだアメリカに後れを取っている。実際に障がいを抱えた人が俳優として活躍するには超えなければならない壁が多い。
 
その意味でも今回の「コーダ あいのうた」のアカデミー賞ノミネートは快挙。日本でもハンディを抱えた人に門出が開かれるきっかけになれば。
 
といった内容の記事である(と僕は理解した)。
 
 
今回はこの記事についての僕の感想を、アカデミー賞授賞式で起きたゴタゴタを交えつつ言っていきたいと思う。
デリケートなネタなのでそれなりに気を使うのだが、何とか言いたいことを言えれば。
 

「ハフポスト」という媒体が嫌い。記事の解釈としては「どんな人にも平等にチャンスを」じゃない?

まず最初に。
下記の記事でも申し上げたように僕は「ハフポスト」という媒体が嫌いである。
 
僕は警察が大嫌いです。ドレッドヘアーじゃねえし両親日本人だけどすげえ職質受けるんだが? そこは差別ではないのか?
 
“日本サゲ”が大好きな極論断定口調が受け付けないというか、このメディアに対する拒否反応はかなりのもの。
 
ただ話題性のある記事が多いのも確かで、今回のようにあれこれ考えるきっかけをくれたりもする。
 
僕のハフポストとの基本的な向き合い方は「嫌いだけどネタ探しにちょくちょく目を通す」というもの。
正直、あまり公平な目線では見ていないことをお伝えしておく。
 
 
で、それを踏まえた上で。
この記事に対する僕の解釈だが、要するに「どんな人(障がいを抱えた人)にも平等にチャンスを」という意味合いなのではないかと。
 
Twitterにぶら下がっているリプ欄や引用RTをざっと見ると、
「ろう者の役はろう者の俳優がやるべきという理屈が通るなら俳優が必要なくなる」
「殺人者の役は殺人者に、宇宙人の役は宇宙人にやらせなきゃダメってこと?」
などの反論が多数見られる。
 
この記事の本題は恐らくそこではなく、「ろう者の役を聴者が演じることによるろう者俳優の機会損失」にあると思っている。
 
 
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ろう者にスポットを当てた作品を作る意義は大きい。
 
だが、ろう者の役を聴者が演じてしまうと実力のあるろう者俳優が脚光を浴びるチャンスを失ってしまう。
 
逆に聴者の役をろう者が演じることは難しい。その中で聴者がろう者の役に収まってしまうと、ますますろう者俳優の活躍の場が少なくなる。
 
そして現在のハリウッドでは「障害者などのマイノリティの役には当事者を」という動きが広がっており、「コーダ あいのうた」のような作品が出てくるまでになった。
 
これをきっかけに日本映画界も変わっていければ……。
 
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だいたいこんな内容だと理解したのだが、どうだろうか。
 

「ろう者の役にはろう者の俳優を!!」の主張も何割かは…。「手話は言語である」の論調に展開したのがアレだよな

ただ、Twitterでの反論のように「その理屈が通るなら殺人者の役は殺人者しかやれなくなるじゃねえか」と感じる方が多いのも理解できる。
というより、実際そういう主張も何割かは入っているような……。
 
タイトルに「ろう者役には、ろう者の俳優を」と強めのフレーズを使っているし、記事内でも「人種やジェンダー/セクシュアリティ、障害者」等の言葉で差別や権利が強調されている。
 
いわゆる社会的マイノリティと呼ばれる人たちが差別され、不当に活躍の機会を奪われてきたことを批判しているようにも読み取れる。
 
で、「ろう者の役にはろう者の俳優を」の理由づけに
・手話は言語
・手話が第一言語ではない俳優がろう者の役を演じると違和感が出る
・それによってろう者が誤解を受ける危険が
と展開しているのだから、「いや、それはちょっと違うんじゃないの?」となるのは当然である。
 
「殺人者の役は殺人者でなければ〜」といった極論はともかく、フィクションの世界には多かれ少なかれ“そういうこと”はある。
 
ラグビーを題材にしたドラマにラグビー未経験者の俳優が起用されてもそこまで目くじらをたてる人はいないし、シルベスター・スタローンがプロボクサーでないからといって「ロッキー」シリーズの価値が落ちるわけでもない。
 
「障がい者が誤解される危険」と「スポーツの熟練度」を天秤にかけるべきではないと言われるかもしれないが、正直僕には「そこまでか?」という思いもある。
 
スポーツの場で傷ついた経験、僕にもあるっすよ。身体を動かすのは好きだけど、体育会系のノリが大嫌いな僕が為末大氏の話題に乗ってみる
 
「コーダ あいのうた」の監督や出演者が熟考を重ねた上で「ろう者の役はろう者に」の結論に至ったのならそれでいい。
だが「ろう者役には、ろう者の俳優を」という監督の言葉を総意のように印象付けるやり方はちょっとどうなの? とも思う。
 
ハリウッドを引き合いに出して「その点日本は〜」とお決まりの日本サゲを始めれば反発が生まれるのは当然である。
 

差別ではなく“格差”。格差是正、相互理解の取り組みは大事だけど、差別という言葉を気軽に使いすぎかな

さらに「人種やジェンダー/セクシュアリティ、障害者」といった言葉で社会的マイノリティの差別論に持っていったのもよくなかった。
 
もちろん社会的マイノリティの方たちが長年肩身の狭い思いをしてきたのは確かなのだと思う。
その部分をなくしていこうという動きに文句をつける気はない。
 
ただ、そこは差別であると同時に“格差”でもあるでしょ? とも思うわけで。
 
 
機会の損失、チャンスの不平等さの要因は障がい以外にも山ほど存在する。
 
サッカーでトップを極めようと思えば欧州に行く必要があるし、野球、バスケ、アメフト、アイスホッケーの米国4大スポーツは言わずもがな。
仮に同じ才能を持っていたとしても、生まれた場所によって得られるチャンスは大きく変わる。
 
それこそ地方の過疎地よりも都会の方が仕事を見つけやすかったり。
もしかしたら結婚→退社する可能性が高い女性よりも会社に定着してくれる男性の方が採用率がいい場合もあるかもしれない。
 
芸能界でも事務所の大きさがタレントの仕事に影響するという話はよく耳にする。
 
本来あってはいけないことだが、社会的マイノリティ以外にも“格差”は存在する。
 
格差是正の取り組み、ろう者と聴者の共存による相互理解は大事だが、現実的に格差による機会損失は“ある”。
そこをすっ飛ばして「社会的マイノリティが排除されている。これは差別だ!!」とヒステリックに主張するのは……。
 
以前にも言った気がするが、「差別」という言葉を気軽に使いすぎである。
 
 
なお、似たようなケースで思いつくのはNHK連続テレビ小説「マッサン」のシャーロット・ケイト・フォックスがそれ以降いまいちハネなかったことか。
 
現在の日本は外国籍の方が多く滞在しており、コンビニや飲食店では日本人以外の人が普通に働いている。
そういう情勢を踏まえれば白人女性にスポットを当てた作品が増えても全然おかしくないのだが、現実的にはほとんどの作品が日本人だけで構成されている。
 
これも見ようによっては差別であり格差でもあるのだろうと。
 

授賞式での醜悪な輩たち。散々日本にマウントを取った末にww 僕はやっぱりハフポストが嫌いです

そして、あーだこーだと理屈をこねくり回してきた末に映画「コーダ あいのうた」がアカデミー賞作品賞を含む3冠を受賞。
 
ところが授賞式の場でプレゼンターが参列した俳優の家族の病気をネタに笑いをとる→その俳優が公衆の面前でプレゼンターを平手打ちにするというまさかの事態が。


さらにこの日は司会者が独身男性陣を登壇させ、“コロナ検査”と称して下品な言葉を発しながらボディチェックをおっ始めたとのこと。


もはや僕には意味がわからない。
日本よりもはるかに人権意識が高いらしいハリウッドさまが出演者の家族を侮辱して笑いを取る人間を公認、それを暴力で解決しようとした人間にアカデミー主演男優賞を贈るという醜悪さである。
 
ウィル・スミスがクリス・ロックにビンタをかました動画を観たが、直前の会場の雰囲気から察するにああいうことは恒常的に行われているのだろうと。
 
仮にそうでないにしても、彼らの中に他人の病気を笑いにする文化、女性が独身男性の身体を好き勝手に触ってもOKとする文化(文化と呼んでいいのかは知らん)が根付いているのは間違いなさそう。
 
 
いや、すげえな。
これが人種やジェンダー/セクシュアリティ、障害者といったマイノリティの人権意識を尊重し、最先端をいくハリウッドさまのお姿ですよ。
 
日本の人権意識が遅れているって、いったいどの口がほざくんだよ、あ?
 
 
一応言っておくと、今回は「アメリカ映画界の大多数はそんなことはない」「しっかり本流を見てくれ」というテンプレの言い訳は通用しない。
 
なぜならアカデミー賞の授賞式だから
前年(2021年)に公開された作品の中からもっとも優れた作品を選出する場で起きたことだから。
 
 
なお、上記の記事でさんざん日本映画界にマウントをとったハフポストの記者は当然この件について反応しているはずだと思って本人のSNSをのぞいてみたところ、びっくりくするくらいのノータッチ。完全に別の世界線を生きていた。
 
そんな感じでたどり着いた結論としては、「やっぱり僕はハフポストが嫌い」
2022年がスタートして3ヶ月だが、早くも今年最大のおまいう案件(最近は使わない?)に遭遇してしまった。
 

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