映画「バケモノの子」感想。前半の「ベストキッド」からの転換がスムーズ。熊徹は「はじめの一歩」の鷹村守だろうな。“普通”が一番を体現した映画

映画「バケモノの子」感想。前半の「ベストキッド」からの転換がスムーズ。熊徹は「はじめの一歩」の鷹村守だろうな。“普通”が一番を体現した映画

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アニメ映画「バケモノの子」を観た。
 
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「バケモノの子」(2015年)
 
母親を交通事故で亡くした9歳の少年・蓮は自暴自棄になっていた。
離婚した父親とは何年も会っておらず、今はどこにいるかもわからない。
 
養子として親戚の家に入ることが決まっていたが、どうしてもそれを受け入れられない蓮は思わず家を飛び出してしまう。
 
 
夜の渋谷の街を一人彷徨い、疲れ果てて路地裏でうずくまる蓮。
すると、突如目の前に熊のような容姿をしたバケモノが立ちはだかる。
 
「熊徹」と名乗ったそのバケモノは蓮に「おめえ、俺と一緒に来るか?」と告げるが、あっけにとられた蓮は返事をすることができない。
 
その様子を見た熊徹は蓮に失望し、隣にいた猿顔のバケモノに促されてその場から立ち去る。
 
残された蓮は彼らの後ろ姿を呆然と眺めていたが、ふと我に返り大急ぎで走り出すのであった。
 
「一人で生きていきたい」
「そのための強さを手に入れたい」
ふつふつと湧き上がる願いをかなえるため、蓮は一心不乱にバケモノたちの背中を追う。
 
 
すると、いつの間にか蓮はバケモノの世界「渋天街」へ迷い込んでいたことに気づくのだが……。
 
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「バケモノの子」はなかなかよかった。「未来のミライ」は殺意を覚えるレベルでクソだったけど

「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」などを手がけたスタジオ地図の細田守氏が監督、脚本をつとめた「バケモノの子」。
 
2021年夏に新作アニメーション映画「竜とそばかすの姫」が公開されることを受けて、WOWOWで特集されたものを視聴した次第である。


僕自身、細田守氏のファンというわけではないが、一応2006年「時をかける少女」と2018年「未来のミライ」は視聴済みである。
 
個人的な感想としては、「時をかける少女」は“まあまあ”で「未来のミライ」は最悪。
おかあさん役をつとめた麻生久美子が大嫌いなのもあるが、正直「未来のミライ」は人生を損したレベルでつまらなかったことをよく覚えている。
 
「未来のミライ」感想。芸術的にクッソつまらんのだが、僕がおかしいの? くんちゃんウザ過ぎワロタw デキる母親鼻につき過ぎワロタw
 
で、今作に関してだが、なかなかよかった
全体を通して安定感、安心感があり着地地点も無難。意外性や尖った表現こそ少ないが、致命的な破綻や間延びも見当たらない。全編119分、観て損はないというか、よくまとまった作品と言えるのではないか。
 
なるほど。
これならスタジオ地図の他作品に手を出してもいいかもしれない。
 
今さら感が尋常ではないが、「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」あたりは適度に僕の琴線に触れそうな予感。
「未来のミライ」は殺意を覚えるレベルでクソだったが、こういう“普通の”作品を気楽に鑑賞すること自体はめちゃくちゃアリである。
 

やっぱり“普通”が一番。最近、変に力が入って空回りする作品が多かったので、なおさら

申し上げたように僕が今作をいいと思った理由は“普通”だったから
 
今作のコンセプトは「バケモノたちの世界を描いた新冒険活劇」とのことだが、うん、確かにそんな感じ。
 
先日映画館で鑑賞した「銀魂 THE FINAL」があまりにイキり倒した内容だったことや、2021年5月に公開予定「ゴジラVSコング」の予告映像に不安しか感じなかったこと、その他。
それなりに期待していた作品にいまいちノレなかったせいで、いつも以上に“普通”に飢えていたことが大きい。
 
銀魂 THE FINAL感想。やっちまったなぁ。普通でよかったのに「銀魂らしさ」の呪縛にガッチガチで身動きできなくなってるw
 
「俺たちの技巧を見せてやんよ」と力む必要もなければ、あれやこれやとエピソードを詰め込んでゴチャゴチャする必要もない。
起承転結を適切なボリュームで構成し、奇をてらうことなく山場とオチをつけてくれればそれで十分。
 
 
また今作は2015年のサン・セバスティアン国際映画祭「コンペティション部門」にアニメ映画として初めてノミネートされたものの、残念ながら受賞には至らなかったとのこと。
 
いや、そうだろうな。
あの内容なら広い支持を集めることは可能だろうが、No.1をとるのは恐らく難しい。
大きく跳ねることはないが、無難にまとめられた安定感こそが今作の持ち味。いわゆる“ポテンヒット”的な作品と言えるのではないか。
 
実際、制作側もそういうつもりで作った部分もあるんじゃないの?
 

前半は熊徹と九太の修行パート。ここは完全に「ベストキッド」だったし、熊徹のモデルは「はじめの一歩」の鷹村守でしょ

前置きがクソ長くなったが、そろそろ中身についての感想を。
 
今作は前半と後半で物語の雰囲気が大きく変わるのが特徴である。
 
前半は熊徹と九太の出会いから8年にわたる修行シーンを中心に描かれるのだが、彼らの関係をひと言で表すなら「ベストキッド」
 
九太が自分をいじめたヤツらを見返すため、さらに「一人で生きる」という目的を果たすために熊徹に弟子入りし、徐々に成長を遂げる。
 
中でも熊徹の動きを真似るうちに九太が自然とコツを掴む流れは「ベストキッド」からヒントを得ていることがよくわかる。
 
師匠の熊徹はガサツで乱暴者、品性のかけらもないが、その反面、ふとした瞬間に見せる優しさや兄貴分肌が印象的なキャラクター。
 
これは恐らく「はじめの一歩」の鷹村守あたりからインスパイアされているのだと思うが、声優の役所広司の声質もどことなくアニメ「はじめの一歩」で鷹村役をつとめた小山力也さんと似ている。
 
アニメ「はじめの一歩」第1期が完璧としか言いようがない。「強いって、何ですか?」「知りたいか。ならば戦ってこい。あの男に勝ってこい」
 
そして熊徹のライバル・猪王山とその長男である一郎彦が早い段階で登場するのだが、この一郎彦が実は九太と同じ人間であること、終盤にラスボスとして立ちふさがるだろうことはボーッと観ているだけでもすぐにわかる。
 
もちろんそれが悪いと言っているわけではなく。
むしろその逆で、想定通りに進む展開に爽快感を覚えたことを報告しておく。
 
「ああ、コイツがそのうちぶっ壊れてこの世界をピンチに陥れるんだろうな」
「ほらみろ、そりゃそうなるでしょ」
みたいな。
 

楓との出会いからクライマックスの一郎彦のクジラ化まで。適度な問題解決とバトル漫画の定番を踏襲

中盤以降は九太と楓の出会いによって元の世界での描写が中心になっていくのだが、それもまた悪くない。
 
あのままベストキッドをやり通すパターンでもよかった気もするが、「だったら2つの世界を作る必要なかったじゃん」という話になってしまう。
 
蓮が九太として生きていくと決めたきっかけに決着をつける必要があるし、ベストキッドのままでいくなら冒頭の母親を亡くした設定自体が不要になる。
 
現実世界でのゴタゴタをいかに清算するか、“親”として育ててくれた熊徹との関係をどう着地させるか。
2つの世界を同時進行させる理由づけとして、あの流れは最適だった気がする。
 
 
一郎彦がクジラの化身となって九太と楓を追い回す終盤部分についても、過去の作品からいろいろと影響を受けた結果だと想像する。
 
僕はあのシーンから少しだけ「鉄コン筋クリート」っぽさを感じたのだが、あそこも一郎彦の精神描写がなかったことはめちゃくちゃ評価したいww
 
「鉄コン筋クリート」は闇落ちしたクロの一人語りを長々と垂れ流した上に結末も意味不明だったせいでだいぶ興ざめさせられたのだが、今作ではそういった制作側の自己満足が目につくことはない。
 
アニメ「鉄コン筋クリート」感想。声優の素人臭いザラザラ感と作風が奇跡的に嚙み合った秀作。イタチの正体? 蛇の手下? いろいろ謎も多いけど
 
熊徹が「炎の太刀」に姿を変えて九太の前に現れるクライマックスもベタでよかった。
 
「肉体は滅んだが、魂はお前の中でずっと生き続ける」
「俺たちは一心同体だ」
 
これは序盤の「心の中に剣があんだろ! 心の中に剣!」という熊徹のセリフを受けてのものだが、まさしくバトル漫画の定番と言える展開。と同時に、熊徹の座右の銘を体現したという意味での爽快感も上乗せされる。
 
「神への転生=刀になる」の意味はいまいち不明だが、そういう細かいことを気にしたら負けなのだろうと。
 
「新冒険活劇」のコンセプトを最後まで守り、“普通”を貫き通したこと。この部分における好感度の高さはなかなかのものである。
 

やっぱり声優陣の稚拙さはスルーできないよね。芸能人を起用すること自体は否定しないけど、人選はきっちりしてほしいんだよな

概ね満足度の高かった「バケモノの子」だが、もちろん少なからず不満はある。
 
細かいキャラ設定や物語の流れ等、ところどころにツッコミどころはあるが、そこは大した問題ではない。申し上げたように作品全体を通して“普通”を貫いたことは非常に好感度が高い。
 
その中においてスルーできなかった部分はやはり声優陣
演技の稚拙さ、主要キャラクターに芸能人を起用する際に生じる負の面はどうしても無視することができない。
 
 
以下が今作における(芸能人)声優に対する率直な感想である。
 
宮崎あおい(九太(幼少期))
→素晴らしい。違和感ゼロ。
 
染谷将太(九太(青年期))
→もう最悪。滑舌が悪過ぎるし声量も足りなくて何言ってるかわかれへん。二度と出てくんな。
 
役所広司(熊徹)
→鷹村守的な兄貴分肌の声がよかった。でも、それなら小山力也さんでよくね?
 
広瀬すず(楓)
→上手いけど、普通に広瀬すずだよね。
 
大泉洋(多々良)
→上手いのはわかる。でも、大泉洋の顔がチラついてちっとも集中できん。
 
リリー・フランキー(百秋坊)
→ダメ。抑揚がなさ過ぎて聞くに耐えない。「ムタフカズ」の草なぎ剛と同類。
 
津川雅彦(宗師)
→まあまあだけど、結局津川雅彦だったよね。
 
黒木華(一郎彦(幼少期))
→さすがは黒木華。違和感なく受け入れられた。
 
長塚圭史(九太の実父)
→下手くそな上にお前は誰?
 
麻生久美子(九太の母)
→また麻生久美子かよ。だからお前は出てくるなとあれほど……。
 
こうして振り返ると「キャラクターよりも声優の顔が先に頭に浮かぶ」パターンと、単純に「未熟過ぎて受け付けない」パターン、大きく分けて2つのパターンがあることがわかる。
 
正直、声優の存在感が作中のキャラを上回ってしまうのはギリギリ許容できるが、単純に下手くそな場合は厳しい。ホントに厳しい。
 
今作で言えば百秋坊役のリリー・フランキー、九太(青年期)役の染谷将太、九太の実父役の長塚圭史がそれに当たる。
 
アニメ映画「HELLO WORLD」これは酷い。ギャン泣き目指してピュアッピュアなテンションで観たのに見事にスレた自分出てきちゃった笑
 
中でも九太と父親の絡みは最悪中の最悪。
今作は比較的満足度が高かったと申し上げたが、親子の絡みに関してはこの10年でも三指に入るレベルの厄災と断言できる。
 
 
恐らく映像込みで表現する俳優と違い、声のみで勝負する声優にはそれに見合った抑揚のつけ方や呼吸法などがあるのだと思う。そして、長年現場で腕を磨いてきた人間には問答無用にプロフェッショナルを感じることができる。
 
ただ、声優が専業ではない芸能人の中にも達人級が存在することも確か。
「鉄コン筋クリート」のシロ役をつとめた蒼井優や「君の名は。」の神木隆之介、上白石萌音などは文句なしに秀逸だった記憶がある。
今作で言えば、九太(幼少期)役の宮崎あおい、一郎彦(幼少期)役の黒木華は完全にキャラクターと融合していたと思う。
 
 
以前にも申し上げたように僕はアニメ映画の声優に芸能人を起用することを否定する気はない。
 
だが、それをやるならしっかりと精査して選りすぐりのメンバーを起用してくださいという話。知名度やキャラクターの印象だけで決めるとマジでロクなことにならないので。
 
 
アニメ「いぬやしき」なんて、冗談抜きで地獄以外の何物でもなかったですからね。
 
この地獄に1クール耐えるのは僕には不可能だったっすわww

内容どうこう以前に、声が受け付けないのだからどうしようもない。
 
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