映画「WINDS OF GOD(ウィンズ・オブ・ゴッド)」感想。誇りのために命を張るなんて…。年代による価値観の違い、今の価値観で過去を断罪する危うさ
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映画「WINDS OF GOD(ウィンズ・オブ・ゴッド)」を観た。
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「WINDS OF GOD(ウィンズ・オブ・ゴッド)」(1995年)
田代誠と袋金太の2人はお笑い芸人。「キンタマーチャンズ」というコンビ名で「お笑い名人大賞」を目指し、劇場に立つ日々を送っている。
だが、ボケ担当の金太はいまいち物覚えが悪く、田代が書いたネタになかなか対応できない。漫才の最中にセリフを忘れてしまうこともしょっちゅうで、大阪から上京して3年経っても彼らはいまだに日の目を浴びることができずにいる。
そんなある日、田代と金太は気晴らしにナンパに行くことに。
田代のバイクに2人乗りでまたがり、赤信号も無視して飛ばしていると……。
運悪く前から来たトラックにはねられてしまうのだった。
混濁した意識の中、とある部屋で目を覚ます田代。
目の前に広がるのは見慣れない天井。一瞬戸惑いを感じた田代だったが、隣のベッドに金太が寝ていることに気づいて一命をとりとめたことに安堵する。
ところが、そんな彼らの前に1人の男が近づき……。
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- 1. 「WINDS OF GOD(ウィンズ・オブ・ゴッド)」を久しぶりに視聴した。でも主演の今井雅之にはあまり興味がない
- 2. 全体的に古くてチープ。ところどころに挟み込まれる舞台映像で集中を削がれ、役者の大げさな演技にゲンナリする
- 3. 内容は今で言う“タイムリープもの”。事故にあった主人公の魂が過去の世界に迷い込み、そこでの生活に戸惑う流れ
- 4. 現在と過去の価値観の違い。個人の自由が尊重される時代の人間が、祖国のために命を投げ出す彼らの思いを理解できるわけがない
- 5. 東京オリンピック2020での解任騒動なども現在と過去の価値観の違いが大きかった気が…。過去の不祥事を理由に彼らから未来を奪うのは正しいの?
- 6. 視聴のタイミングが東京オリンピック2020と重なっていろいろ楽しめた。またいつか観てみようと思う
「WINDS OF GOD(ウィンズ・オブ・ゴッド)」を久しぶりに視聴した。でも主演の今井雅之にはあまり興味がない
1995年に公開された映画「WINDS OF GOD(ウィンズ・オブ・ゴッド)」。
もともとは故今井雅之氏主演で舞台上映されていたものを映像化した作品で、2005年には「零のかなたへ〜THE WINDS OF GOD〜」というタイトルでテレビドラマ化もされている。
僕もだいぶ前(いつかは忘れた)にこの作品を観たことがあるのだが、「何となくもう一度観たくなった」というフワッとした動機で再視聴してみた次第である。
ちなみに主演を務めた今井雅之に対しては特別な感情はない。
強いて言うなら僕のお気に入りの映画「遊びの時間は終わらない(1991年)」でのバイプレイヤーっぷりがよかったという程度。
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2015年にガンで亡くなる直前にげっそりした姿でメディアに登場していたのを記憶しているが、のちに聞いたところによると何年も健康診断にすら行っていなかったとか。その結果、ガンが発見された時点では手が付けられないほど進行していたとのこと。
亡くなったことは気の毒だが、それ以上でもそれ以下でもない。「健康には気をつけよう」と思うきっかけをくれた程度の存在である。
まあ、90年代〜2010年代まで途切れることなく映画、ドラマ作品に出演していたことを考えると、演技力自体は高かったのだとは思うが。
全体的に古くてチープ。ところどころに挟み込まれる舞台映像で集中を削がれ、役者の大げさな演技にゲンナリする
今回「WINDS OF GOD」を視聴して最初に思ったのが、全体を通して“古くてチープ”であること。
もともとが舞台作品+制作費も少なかったのだと想像するが、ところどころに挟み込まれる舞台映像が何ともちゃっちい。ロケシーンと舞台映像が切り替わるたびにとんでもない違和感とともに集中を削がれるのである。
特に冒頭の交通事故のシーンや部隊全員で防空壕に隠れるシーンなどは顕著。いかにも手間暇がかかりそうな部分が舞台映像でまかなわれているせいで、否が応でも“大人の事情”的なものを邪推させられる。
また、零戦での飛行シーンなどは合成丸出しの非常にチープなもの。年代的に仕方ないとは思うが、近年のど迫力なフルCG技術に慣れているせいでどうしても「あ、そうか…」となってしまう。
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俳優陣の演技もやたらとハイテンション+早口な台詞回しが目に付く。
日本兵士を演じる上でそうならざるを得ないのかもしれないが、それでも……ねえ。もう少し抑揚をつけてもよかった気もするのだが。
あの時代に高倉健主演「網走番外地」と同じ昭和感丸出しのノリで来るのもどうなのよ? と思ったり、思わなかったり。
主演の今井雅之は悪くないのだが、脇を固める俳優陣(袋金太役の山口粧太を含めて)の時代がかった演技がどうにもゲンナリするのである。
内容は今で言う“タイムリープもの”。事故にあった主人公の魂が過去の世界に迷い込み、そこでの生活に戸惑う流れ
ただ、作品自体は普通におもしろい。
現世(平成5年)で事故にあった2人の魂が昭和20年の同時間帯に事故にあった前世の肉体に乗り移るところから物語はスタートする。
要するに今で言う“タイムリープもの”である。
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戦争末期の日本兵士には現世での常識がまったく通じず、祖国のために命を捨てることが誇りだと宣言する彼らの言い分を田代はどうしても受け入れることができない。
彼らも本音では生きたいに決まっている。
若い男であれば普通に女性が好きだし、好きな相手をこの手で抱きしめたいとも思うはず。愛する女性と一緒になって子どもを授かり、幸せな将来を夢見る権利が誰にでもあって当たり前。
その本音を押し殺して「日本のために命を捨てる」「誇りを持って志願した」などクソ喰らえ。
たった一度しかない人生、それでいいのかよお前ら。
自分に嘘をついて無理やり納得させて。
生まれてきてよかったと心から言えるのか。
次は平和な時代に生まれたい?
ふざけんなよ。
今この瞬間、ここで生きてるのはお前だろ。
たとえ生まれ変わったとしても、それはまったくの別人じゃボケ。
などなど。
徐々にもとの人格に侵食されていく自分を感じながらも、田代は断固として自分の信念を貫こうとする。
現在と過去の価値観の違い。個人の自由が尊重される時代の人間が、祖国のために命を投げ出す彼らの思いを理解できるわけがない
時代、環境が変われば当然価値観も変わる。
僕が今作を観てもっとも印象に残ったのがコレである。
戦争のない平和な現世(平成初期)では個人の自由が尊重され、自分の生き方もある程度選ぶことができる。田代や金太のように、漫才師として自分の才能だけで勝負する人生も許容される。
国のために命を張るなど考えられないし、考える必要もない。
一方、戦争真っ只中の昭和10〜20年代を生きる彼らには個人の自由よりも優先すべきものがある。
自分が生まれた国のため、故郷に住む家族、友人、恋人のために1人でも多く敵国の兵士を倒さなければならない。結果、それで自分が命を落としたとしても本望。
祖国のために自らの命を捧げる。これ以上に誇らしく尊いことなど存在しない。
もちろん本音の部分では死にたいなどとは思っていない。
敵船に突っ込んで自爆するなど正気の沙汰ではないし、誰もそんなことを進んでやりたいとは思わない。“神風”“大和魂”といった精神論に頼る時点で日本軍に打つ手が残っていないことも薄々感づいてもいる。
だが、それでも「行け」と命令されればためらわずに命を投げ出すのが彼らの使命。
戦争に勝利することがすべてだと刷り込まれてきた彼らにとって、上官の命令は祖国の命令に等しい。
この部分で現世からきた田代と真っ向から対立するわけだが、どれだけ言い争っても正解など出るはずもない。
命を捨てることを望んでいるわけではない。
ただ、自分の力ではどうしようもないこともわかっている。
それならせめて、自らの命を張ることに誇りを持ちたい。
国のために正しいことをしたのだと、胸を張って旅立ちたい。
僕自身、神風特攻が正しかったとはこれっぽっちも思わないが、個人ではどうにもならない大きなもの(時代背景や国全体の雰囲気)に流されてしまうのは仕方ないとも思っている。
ましてや彼らは“赤紙”と呼ばれる令状で強制的に招集され、脱走兵は即銃殺という厳しい規則に縛られている身。そんな状況の中で反対の声を上げる選択などあるわけもない。
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念のために言っておくと、史実がどうだったかはまったく別の話。
神風特攻が志願だったか半強制だったかは意見の分かれるところだし、それをここで議論する気はない。
あくまで「WINDS OF GOD」というフィクション内においての話である。
東京オリンピック2020での解任騒動なども現在と過去の価値観の違いが大きかった気が…。過去の不祥事を理由に彼らから未来を奪うのは正しいの?
東京オリンピック2020では開会式の作曲担当者や演出家、出演者などが過去の不祥事を理由に次々と辞めていったが、ああいうのも過去と現在の価値観の違い、物差しの違いによるところが大きかったと思っている。
学生時代の犯罪まがいのいじめをメディアのインタビューで自慢げに語ったというミュージシャンについては擁護する部分は見当たらないが、それ以降は少々やり過ぎだった気もする。
コント内で差別的なフレーズを使ったとして解任されたお笑いコンビ(の片割れ)などもそう。
当時は「他人を下げて笑いをとる」手法が幅広く使われており、それを突き詰めたものを「尖った笑い」、理解できない人間を「センスがない」と見下す傾向が強かった(気がする)。
要は、現在ではやり過ぎとされるものが許容されていたとも言えるわけで。
だからと言って例のフレーズが許されるわけではないが、少なくともアウトな案件が今よりはるかに発生しやすかったことは間違いない。
上述の神風特攻を是とする風潮と同様(同列に並べることが適切かどうかは不明だが)、多少は仕方ない部分もあったのだろうと。
アウトかセーフかで言えば完全にアウト。だが、それ以降の彼らが同じ過ちを繰り返していない(よね?)ことを考えると、過去を理由に現在の彼らから仕事を奪う行為が正しいとは言い難い。
過去を反省して未来につなげることが成長なら、彼らはすでに清算を済ませて次に進んでいるのでは? と僕などは思ったのだが。
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まあでも、オリンピックが名目上「平和の祭典」である以上、どんな些細なことにも目をつぶるわけにいかなくなったのはあるでしょうね。
その割には「あいつがダメならこいつもダメじゃないの?」という名前もちらほら見かけたけど。
視聴のタイミングが東京オリンピック2020と重なっていろいろ楽しめた。またいつか観てみようと思う
とまあ、こんな感じで今作「WINDS OF GOD(ウィンズ・オブ・ゴッド)」を視聴したところ、現在の物差しで過去を語る(断罪する)ことの危うさについて考えさせられた次第である。
もちろん僕の意見が正しいなどと言うつもりはないし、過去だろうが現在だろうがアウト案件はアウト案件でしかない。
どちらにしろ、今作の視聴が東京オリンピック2020開催と重なったことは非常にタイムリーだった。原爆記念日、終戦記念日も間近いしね。
というわけで、またいつかこの映画を観たときに自分が何を感じるかを楽しみにしておこうと思う。
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