「るろうに剣心 伝説の最期編」これは酷い。オリジナル脚本以前にやりたいこととやるべきことのサイズが合ってなくて十本刀がコスプレ軍団化。詰め込みまくって薄々のカオス【感想】

「るろうに剣心 伝説の最期編」これは酷い。オリジナル脚本以前にやりたいこととやるべきことのサイズが合ってなくて十本刀がコスプレ軍団化。詰め込みまくって薄々のカオス【感想】

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映画「るろうに剣心 伝説の最期編」を観た。
 
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「るろうに剣心 伝説の最期編」(2014年)
 
志々雄真実の手で海に放り出された神谷薫を助けるため、自らも海に飛び込んだ剣心。
だが大荒れの海では薫を見つけることができずに自らも溺れて海岸に打ち上げられてしまう。
 
 
後日、海岸で気を失いピクリとも動かない剣心。そこに謎の男が現れ、おもむろに剣心を抱え上げて自らの住処に連れていく。
 
彼の名は比古清十郎。
剣心の師匠であり、孤児でもあった剣心に名前を与えた親代わりの男でもある。
 
 
数日後に目を覚ました剣心はすぐにでも薫を探しに行こうと立ち上がる。
だが、あの場には剣心しかいなかったこと、剣心自身が3日間眠っていたことを比古に聞かされ思いとどまることに。
 
そして、志々雄真実を倒すために飛天御剣流の奥義を伝授してほしいと申し出るのだが……。
 
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「伝説の最期編」は酷い。原作ファン(僕を含めて)にとってはかなりキツい内容だったんじゃない?

佐藤健主演で2014年に公開された映画「るろうに剣心 伝説の最期編」。
前作「京都大火編」から続く2部構成? で公開日もわずか1か月半違い。完全な“ニコイチ”として制作された作品である。
 
「るろうに剣心 京都大火編」感想。イタいストーカーの四乃森蒼紫につかみは任せろな斎藤一。ド派手なバトルと映像のチープさに日本映画の現在地を知る
 
志々雄真実にさらわれた薫を助けるために戦艦“煉獄”に乗り込んだ剣心。だが、志々雄は船上バトルの最中に薫を海に放り投げる暴挙に。それを見た剣心も薫を助けるために海に飛び込むが、大波の中では薫を見つけることができずに自身も溺れてしまう。
 
後日、海岸に打ち上げられた剣心は気を失ったままピクリとも動かない。
そこに偶然現れた謎の男がおもむろに剣心を抱え上げ……。
 
 
前作のラストはだいたいこんな感じ。
比古清十郎と剣心の出会いを描いた回想シーンから今作はスタートする。
 
要するに前作のラストから原作とのズレが生じ、映画独自の脚本に突入していくことになる。
 
で、最終的にどこに着地させるか、どう軌道修正するのかに注目していたところ……。
 
そのまま押し切りやがった笑
 
結末こそ原作通りだが、そこに至るまでの流れは完全にオリジナル。
しかも中途半端に原作の名場面や名言を放り込んだせいで仕上がりがすこぶる薄っぺらいという。
 
 
今作の世間での評価はよく知らないのだが、はっきり言ってこれは失敗作だと思う。
特に原作ファン(僕を含めて)にとっては「うわぁ……」と感じる部分が多かったのではないか。
 
 
僕自身、漫画作品の実写化に関しては割と好意的に受け止めている方だが、今作「伝説の最期編」はちょっとキツい。
過去の2作「るろうに剣心(2012)」「京都大火編」は不満こそあれど60~70点くらいには評価していたが、今回は完全なる駄作。僕の中では甘く見積もっても30~40点。脳内で「何でこうなった?」がずーっと連呼されていたことをお伝えしておく。
 

比古清十郎と剣心の修行パートはよかったよ。福山雅治は今作における文句なしのMVP

僕の中ではシリーズ屈指の駄作に成り下がった「るろうに剣心 伝説の最期編」。
ただ、その中でもよかった部分はあって、それが師匠比古清十郎との修行パートである。
 
 
福山雅治演じる比古清十郎はどちらかと言えばシリアスな雰囲気を漂わせる男。原作での飄々とした適当さは控えめに、最初から剣心の悩みに真摯に向き合ってくれる。
 
そして、心に巣食った“人斬り”に打ち勝つためには「生きようとする意志」が重要であること、“死中に活を求める”とは一線を画す強さが存在することを剣心に気づかせてくれる。
 
剣心と比古清十郎の出会い(回想シーン)→15年ぶりの修行で剣心をフルボッコ→命を捨てる覚悟で奥義習得を目指す剣心を「わかってねえな。よく考えろ」と叱責
 
この流れははっきり言ってよかったし、アクションシーンも秀逸だった。
 
剣心が「自分はまだ死ぬわけにはいかない」という答えにたどり着くまでの流れを丁寧に描き、その上で比古清十郎が発したひと言「生きようとする意志は何よりも強い」にはズシリとくる重みがあった。
 
今作のMVPが誰かと聞かれれば、僕は迷いなく福山雅治と答える。
 

端折りまくったくせに欲張りすぎ。強引に原作に寄せたせいでエピソードがうっすうす

表題の通りだが、今作が失敗(だと僕が思う)した要因は「端折りまくったくせに欲張りすぎた」ことにあると思っている。
 
申し上げたように海岸に打ち上げられた剣心を比古清十郎が助けるところからオリジナル脚本に突入するわけだが、中でも大きな改変は最終決戦の舞台を戦艦“煉獄”にしたこと。
 
原作では志々雄一派の東京侵攻が失敗→剣心と斎藤一、相楽左之助の3人が志々雄のアジトに乗り込む流れとなるが、今作ではその部分を“煉獄”内での出来事に集約している。
実際に戦うのも剣心、斎藤、左之助と警官部隊vs志々雄軍+十本刀全員という大所帯。ちょっとした戦争と言ってもいい規模である。
 
もちろんそれ自体は構わないのだが、ここにあらゆるエピソードを詰め込んだのがいただけない。
 
警官部隊vs志々雄軍の集団戦の中で発生した個人vs個人の戦いは下記
・斎藤一vs魚沼宇水
・相楽左之助vs悠久山安慈
・緋村剣心vs瀬田宗次郎(再戦)
 
剣心、斎藤、左之助に四乃森蒼紫を加えた4人vs志々雄真実のラストバトルを除けばこの3戦が中心となる。
 
そして、ここを強引に原作に寄せたせいでそれぞれのエピソードがうっすうす+肝心のバトルに集中できなくなるという最悪の事態を引き起こしているのである。
 

やるならやる、やらないならやらないでメリハリをつけないと。表層だけをなぞってファンを唸らせてやろう感が透けて見えてクソ寒い

上記3戦の最中に語られるエピソードは主に下記
・安慈が“不動明王”となった原因
・佐渡島方治が志々雄に忠誠を誓う理由
・駒形由美と志々雄の出会い
・瀬田宗次郎の強さの秘密
 
これらはいずれも明治という時代の暗部を示す重要なエピソードばかり。原作では明治政府がいかに強引なやり口で新時代を切り開いたか、本当に間違っていたのは志々雄なのか? といった“闇”の部分が浮き彫りになる。
 
中でも悠久山安慈と瀬田宗次郎のエピソードはそれぞれスピンオフ作品が作れるのでは? というくらいの濃さ。
特に安慈の過去編に左之助の赤報隊の件を絡めれば、本編よりも重厚になるという噂も……。
 
ところが今作では諸々のエピソードは安慈の口から語られるのみ。左之助が安慈に二重の極みを習う部分もカットされているので、この2人が雌雄を決する意味合いも薄い。
 
その割に安慈が“救世”や“生殺与奪の権”を匂わせたり、宗次郎の「イライラするなぁ」「あれ? おっかしいなぁ」「所詮この世は弱肉強食」などのフレーズをそのまま使用しているのが……。
 
駒形由美の最後のセリフ「初めて志々雄様の戦いの役に立てた」もそう。
 
吉原のNo.1遊女としてプライドを持って生きていた由美が明治政府に「お前たちは人間じゃない」と烙印を押されて絶望。志々雄真実という“本物”に出会い、人は見た目ではなく中身が重要だと知る。
虚飾に満ちた世界を生きてきた女がようやく見つけた“本物の男”との幸せ。だが、志々雄にとって一番重要な「戦いの場」で役に立つことができないジレンマは消えず……。
 
各キャラごとに重厚なバックボーン、そこに至るまでのいきさつがあった上での名言なのに。それをせずに表層だけをなぞっていいとこ取りをしよう、ファンを唸らせてやろうという魂胆が透けて見えるのがクソ寒い。
 
佐渡島方治なんて、“ハイテンションな三下キャラ”という武田観柳の下位互換のままワンパンで終わっちゃいましたからね。原作では志々雄のためなら進んで嫌われ役になる覚悟を決めたり、由美に「主を信じろ」と諭したりと一本筋の通ったキャラだったのに。
 
映画「るろうに剣心(2012)」が“惜しい”理由。詰め込んだなぁ。斎藤一は必要でしたかね? 100点満点のアクションも“フワッと牙突”で台無しに笑
 
やるならやる、やらないならやらないでメリハリをつけんと。
中途半端に原作の要素を取り入れてイキろうとするからおかしなことになるんですよ。
 
比古清十郎くらい丁寧に描けば「生きようとする意志は何よりも強い」のひと言にも重みが出たのに。
 
それならむしろ、第一作目の外印や戌亥番神のような単なる雇われ幹部でよかったわけで。
極論、ひと言も喋らず牙突で瞬殺された宇水が一番マシだったまである。
 
土台2、3時間で収まる内容ではないのだから、十本刀のエピソードは宗次郎だけに絞ってもよかったのかもしれない。
 
 
まあでも、安慈、方治、宗次郎(前作を含めれば刀狩の張)以外の十本刀が単なるコスプレ軍団と化していたのは残念だったかな。
 
見た目だけは超個性的なのに活躍シーンはゼロ。神谷道場に押し掛けた警官隊のモブどもの方がはるかにがんばっていたというね。
 

四乃森蒼紫が結局イタいストーカーのままだった。軌道修正どころかエスカレートしてるじゃねえか笑

そして、四乃森蒼紫が結局イタいストーカーのまま終わってしまったのも残念だった。
 
前作で何の脈絡もなく神谷道場に現れ左之助をフルボッコ→京都で翁を半殺しにした蒼紫だが、すべての動機は「人斬り抜刀斎を倒して“最強の華”を手に入れるため」。
ところがこれまで剣心と会ったことはなく、剣心にしてみれば単なる逆恨みでしかない。
 
今のところ1mmも魅力のない蒼紫をどう処理するのかと思っていたのだが、まさかそのままストーカーキャラを貫くとは笑
 
ラストバトルの真っ最中に突然現れた蒼紫に志々雄が言い放った言葉「誰だお前!?」
 
いや、マジで誰だお前ww
 
恐らくあの瞬間、すべての視聴者が同じことを思ったはずだが、この扱いの悪さはさすがに何とかならなかったものか。
 
「抜刀斎は俺の獲物だ!!」じゃねえんだよww
完全に「私だけを見てよ抜刀斎君( ᵔᵒᵔ )sᴜᴋɪᵎᵎ」になっとるじゃねえか。
 
その剣心にも「お主がどんな過去を送ってきたのか拙者には想像もつかないが」とか言われてるし。
 
軌道修正するどころかさらにエスカレートしとるやんけと。
 
 
比古清十郎の「生きようとする意志は何よりも強い」から蒼紫の「すべてを捨ててきた」につながる流れは“生と死の対比”という意味で悪くなかったんですけどね。
 
いかんせん蒼紫の動機が言いがかりすぎて「いや、知らんがな」になっちゃうのが……。
 
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結果としてラストバトルでの4人の関係がクッソ微妙という。
・斎藤一→左之助とは単なる顔見知り、蒼紫とは初対面
・左之助→蒼紫に一方的にボコられた人
・蒼紫→剣心大好き、他2人はまったくの無関係
 
その割にはめちゃくちゃ共闘してたけどな!!
 

ド迫力のバトルシーンも若干食傷気味…。原作に登場する技が実写化でどうなるかを楽しみにしていたのに

メインとも言えるバトルシーンに関してだが、こちらはやや食傷気味だったのが……。
 
前作、前々作から続くスピーディでド迫力なバトルは相変わらずすごいし出演陣のがんばりにも頭が下がる。だが、同時に少々お腹いっぱいだったりもする。
 
チャンチャンバラバラの展開から徐々に均衡が崩れ、とどめの一撃を食らわせて「ぐわああぁぁっ!!!」
すごいのはわかるのだが、たまには別の流れもほしい。
 
それこそ原作に登場した技が実写化でどうなるかに興味があったので、それらがほぼカットされていたのが残念で仕方ない。ここが僕の中での今作の評価が下がった一因でもある。
 
僕が実写化で楽しみにしていた技
・九頭龍閃(比古清十郎)
・二重の極み(悠久山安慈)
・瞬天殺(瀬田宗次郎)
・弐の秘剣 紅蓮腕(志々雄真実)
・我流大蛇(沢下条張)
・天翔龍閃(緋村剣心)
・回天剣舞六連(四乃森蒼紫)
 
このうち実際に登場したのは天翔龍閃と回天剣舞六連のみ(正確には回天剣舞六連は技名を明言していない)。
天翔龍閃は“超神速の抜刀術”という説明がなかったせいで普通の抜刀術と見分けがつかず(踏み出す足が逆というのはわかった)、回天剣舞六連は伊勢谷友介の殺陣が下手くそでいまいち盛り上がりに欠けた。
 
弐の秘剣 紅蓮腕に至っては、志々雄がたまたま見つけた火薬をぶん投げるだけ(だったよね?)というあり様である。
 
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ちなみに今作最大にして唯一の長所と申し上げた比古清十郎と剣心の修行パートだが、こちらも九頭龍閃がカットされたためにどうしてもモヤモヤは残る。
 
九頭龍閃さえあれば薫の安否がわからない状況で剣心が修行に没頭できたこと、言うほど剣心が人斬りに戻っていないことなどの違和感もチャラにできたのだが笑
 
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