武術・武道がセーショーネンのケンゼンイクセーに役立つ? わけがない。効率よく他人を無力化する技術と人間性に何の関係が? 極真の昇段審査で1人がボコされる動画を観て
先日TwitterだかYouTubeだかで空手着を着た集団が1人を取り囲んでボコボコにする動画を見かけた。
ボコられている側は明らかに戦意を喪失しているのだが、周りの面々は腰砕けになった彼を無理やり引き起こして(ピンピンした)相手と対峙させる。で、再び容赦のないパンチとキックの雨を降らせる……。
どうやら極真空手の昇段審査の一幕だったらしく、道場内ではごく普通の光景とのこと。やられている側も自ら望んでその場に身を投じており、最終的には昇段がかないハッピーエンドを迎えたとか。
これに対しては「集団リンチ」「いじめ」といった過激な言葉や「こんなところに子どもを通わせられない」等、親の立場での意見が多数寄せられ、ちょっとした炎上騒ぎ? の様相を呈していた。
また極真経験者の間でも意見が割れており、「ここまでやるのは異常」「審査員もいない場所でやるのはおかしい」といったものから「極真なら普通のこと」「自分も昔似たような場所にいた」とあくまで一般的な極真空手であると断言するなど、さまざまな声が聞こえてきた。
僕もたまたまこの動画(すでに削除済み)を目にしたのだが、わずか十数秒程度ながらなかなかのインパクト。
前後の文脈がわからない&極真空手の世界を知らないので一概には言えないものの、絶対に近づきたくないなぁと思った次第である。
あの昇段審査の是非は知らん。異様な光景ではあったけど
まず、僕はここであの昇段審査の是非を論じる気はない。
極真空手の世界を知らないのはもちろん、ほんの一部を切り取ったものでは判断がつかないのもある。
と同時に腰砕けになった人間を周りが無理やり立たせる、戦意喪失しかけている相手に容赦なくフルスイングを浴びせる光景が異常というのもその通り。
極真の経験者らしき方が「自分の価値基準で判断するな」とおっしゃっているのを見かけたが、なるほど確かに。
極限状態を乗り越えた境地というか、我々パンピーには理解できないものが極真の世界にはあるのだろうと。
そこを見もせずに「こんなところに子どもを通わせられない」とバッサリ行ってしまうのはちょっと違う気もする。
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極限状態を超えた先に〜というのは絶対にある。精神が肉体を凌駕する
近年、スポーツ現場での指導者による体罰、暴言が問題視されている。
プロ、アマ、学生問わず上の立場(指導者や先輩)の人間が選手に暴力を振るったり、罵声を浴びせたり。
また、必要以上に身体を酷使する理不尽なしごきなども同様である。
一昔前は当たり前に行われていた(暗黙の了解だった)ものが、社会の風潮やインターネットの発達によって可視化されたと言える。
ただ、厳しい指導(ときには暴力も)によって精神的な強さが培われたと主張する層が根強く残っているのも事実。
最近の若い選手は少し失敗するとすぐに凹んでしまうという嘆きもちょくちょく聞こえてくる。
上述の極真空手の昇段審査もそう。
上の立場の人間が頭ごなしに怒鳴りつける、暴力を振るう指導が正解とはまったく思わないが、厳しさの中でしか得られないものがあるのもまた確かなのだろうと。
実際、限界を超える、極限状態の先に~みたいなヤツは絶対にありますからね。
精神が肉体を凌駕する的な。
意図的に極限状態を作り出して成長を促すやり方は多少強引だが、ありかなしかで言えばありなのかもしれない。
スポーツの場で傷ついた経験、僕にもあるっすよ。身体を動かすのは好きだけど、体育会系のノリが大嫌いな僕が為末大氏の話題に乗ってみる
武術・武道は“いかに効率的に人を殺めるか”がスタートライン。我々パンピーには理解できない世界
そもそも論として、空手を含む武術・武道は“いかに効率的に人を殺めるか”からスタートしているわけで。
空手の起源は中国武術という説が有力らしいが、もともとが戦場での技術鍛錬としてスタートしたものだとか。
それ以外の武術・武道も思いつくままに調べてみたが、起源をさかのぼってみるとどどれもこれも最終的には“戦”に行きつく。
要するに武術・武道の類は我々パンピーの生活、常識とは一線を画すもの。根底に命のやり取りがある時点で令和4年の常識に当てはめようとすること自体に無理がある。
例の動画に対する批判を受けて「自分の価値基準で判断するな」と憤っていた方がいたが、まさにそれ。自分の狭い見識では理解できないものがこの世には存在する。
言葉は悪いが「事情も知らんヤツが口を出すな」の世界なのだろうと。
Twitterの終末感。バカは使っちゃいけないツールなのにバカとの相性がよすぎる。気軽さの欠片もないギスギスした空気とトンデモ解釈で突っかかってくるアレな人と…
武術・武道がセーショーネンのケンゼンイクセーに役に立つとかいう詭弁。それどころか横柄で俺様気質な人間の方が多いけどな
ここからが本題(前置きなっが笑)なのだが、僕は綺麗事をほざく武術・武道の連中がクソほど薄ら寒いと思っている。
何が言いたいかというと、彼らがやっているのはあくまで“効率よく他人をボコるための技術”。間違っても青少年の健全育成のためではないということ。
これは以前から24582314828824763111025453回以上連呼しているのだが、スポーツが人間形成に役立つなどというのは詭弁中の詭弁。スポーツをやればその種目がうまくなるだけ、人間性が向上するなど幻想でしかない。世界一稼ぐスポーツ選手がシャバと塀の中を行ったり来たりしてることが何よりの証拠。
と僕は思っている。
僕がサッカーを嫌いな理由。「悩みがある人間はスポーツをやれば解決する」とかいうスポーツ万能クソ理論が反吐が出るほど嫌いです
そして、武術・武道の連中はこの傾向がさらに強い。
試しに「空手 青少年」「柔道 青少年」「剣道 青少年」でGoogle検索してみると、セーショーネンのケンゼンイクセーを理念に掲げる道場や協会が腐るほど出てくる。
いや、嘘つけと。
お前らがやっているのは他人をボコるための技術の鍛錬。散々わめき散らしてきたように根底には命のやり取りがあり、一般社会とは完全に一線を画す。
また僕の経験上、武術・武道に携わっている人間はそうでない人間よりも横柄で俺様気質な割合が高い。
腕っぷしが強い、他人をねじ伏せる方法を覚えた人間が間違った方向に自信をつける最悪なパティーンである。
それは修行が足りていないだけ、本物の達人は人間性も素晴らしいと言われるのかもしれないが、お前らの言う“ホンモノ”とやらになるために多人数vs1人で理不尽にボコられる必要があるならそんなものはこちらから願い下げである笑
実態は相手を効率よく他人の命を奪う方法の探求。「礼に始まり礼に終わる」ってそんなバカな笑
僕が小学校時代にとある道場に通っており、素人に毛が生えたような段階でガチの稽古に放り出されてボッコボコにされたというのは以前申し上げた通り。
スポーツにおける暴言、暴力による熱血指導()で抱えたトラウマの話。「あの頃があったから今の自分がある」のかもしれないけど、負の側面の方が多そうだよね
その経験もあって僕は武術・武道がセーショーネンのケンゼンイクセーに役立つ説を糞食らえと思っているわけだが、当時繰り返し言われたのが「負け=死だと思え」である。
さらに強調されたのが「稽古後に礼をする際も相手から目を離してはいけない」。なぜなら「死んだふりをした相手が背後から襲いかかってくるかもしれない」から。
これがいわゆる武道における“残心”であると。
「礼に始まり礼に終わる」が聞いて呆れる。
セーショーネンのケンゼンイクセーを謳いながらも、実際にやっているのは
・人体の急所を確実に打ち抜け
・虚と実を使い分けて隙を生み出せ
・効率的に相手を無力化しろ
・逆に相手には隙を見せるな
つまり、相手を騙して優位を確保し素早く命を奪う方法の探求である。
どれだけ綺麗事を並べようが実態は他人を手っ取り早くねじ伏せるための技術でしかない。その過程で態度が横柄になったり他人にマウントを取って快感を覚える人間が増えるのも全然おかしなことじゃない。
繰り返しになるが、世の中に溢れる武術・武道の道場はセーショーネンのケンゼンイクセーにはまったく役に立たない。むしろその逆で、横柄で俺様気質な人間の養成機関であると言わせていただく。
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いい年こいた大人同士が「先生」と呼び合う界隈はろくなもんじゃない。空手、柔道、剣道の道場を見学した印象は…
だいたいアレなんだよな。
大人同士が「先生」と呼び合う界隈はろくなもんじゃないですからね。
ここ最近さまざまな武術・武道の達人(笑)が交流するYouTubeチャンネルが増えているが、僕がこれらを観なくなった理由の一つがコレ。
いい年こいた大人同士が何の疑問も持たずに「先生」と呼び合う光景がこの上なく気色悪い。
ちなみに僕が空手、柔道、剣道の道場を見学した印象は下記。
・空手:圧倒的輩率
→殴る、蹴るの競技性が輩のオラオラな性分とマッチしているのだと思う。キックボクシングとMMAの客層の違いに少し近い? かも? 9割方“押忍”で解決できると思っている短絡っぷり。
・柔道:上下関係がえげつない
→行き過ぎた礼儀、礼節が影響してるっぽい。“日本のお家芸”などと言われて体育の授業にも取り入れられているのが大きい気がする。実は死亡事故がめっちゃ多い。
・剣道:エリート意識高め
→恐らくだが、剣の道=武士といった一段上の階級意識が強いのだろうと。あと、純粋に空手や柔道に比べて道具が高額(一式10万円くらい)なので裕福な家庭しかできないのもありそう。
あくまで僕の狭い見識&たまたま見学に行った地元の道場に限った話であることをお伝えしておく。