映画「スワロウテイル 4Kリマスター」感想。後に残るのは「三上博史が美しい」のみ。「何となく深い意味がありそう」な雰囲気が冷笑前期の「理解できる俺カッケー」、就職氷河期の「あえて選ばない俺」に絶妙にマッチした

映画「スワロウテイル 4Kリマスター」感想。後に残るのは「三上博史が美しい」のみ。「何となく深い意味がありそう」な雰囲気が冷笑前期の「理解できる俺カッケー」、就職氷河期の「あえて選ばない俺」に絶妙にマッチした

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映画「スワロウテイル 4Kリマスター」を観た。
 
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「スワロウテイル 4Kリマスター」(2026年)
 
「円」が世界一強かった時代。
日本には一攫千金を求めて移民が大挙して押し寄せた。彼らはその街を「円都(イェンタウン)」と呼び、日本人は違法滞在者たちを侮蔑を込めて「円盗(イェンタウン)」と呼んだ。
 
娼婦の母を亡くした少女は天涯孤独の身で名前もない。娼婦仲間をたらい回しにされ、その中の1人グリコの元に引き取られる。
グリコは彼女にアゲハという名前を与え、移民仲間が営む何でも屋「あおぞら」での仕事を紹介するのだった。
 
 
日本人を騙して小金を稼ぐ毎日をそれなりに楽しむアゲハ。
そんなある日、グリコの客である須藤がもめ事を起こし……。
 
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僕が今作を観たのは15年ほど前。当時の感想は「三上博史が美しい」。2026年現在の感想も「三上博史が美しい」

映画「スワロウテイル」。
1996年公開の映画で、2026年9月にリマスター版としてリバイバル上映がスタートしている。
 
僕はたまたま下記の動画で存在を知り、ノリと勢いで映画館に足を運んだ次第である。

 
僕がこの映画を最初に観たのは15年ほど前。
公開は30年前なのでリアルタイムではないが、“10年ひと昔”という言葉を踏まえればしっかり「昔」である。
 
当時の印象は「三上博史が美しい」。
 
今では還暦を超えて初老とも言える年齢となった三上博史だが、今作でヒオ・フェイホンを演じた当時は30代前半。
色気とワイルドさと斜に構えたスタンスが絶妙なバランスで同居していて、男の僕が観ても「マジかコイツ」「クッソかっけえな」と思った記憶がある。
 
そして今回、リマスター版で観た感想も「やっぱり三上博史が美しい」。
内容はところどころ忘れていて「ああ、こんな話だったのか」と思い出すこともあったが、三上博史の美しさは30年(僕が観てからは15年)経っても変わらない。
 
ぶっちゃけバブリーで荒廃的な設定に古さを感じたことも事実。もっと言うと、今作は映画としてはペラッペラで“雰囲気もの”の側面が強い。
 
ただ、三上博史の美しさだけは30年経っても色あせない。賞味期限は無限だと断言させていただく笑

「【本予告】9.4公開『スワロウテイル 4Kリマスター』本予告」より引用
 
 
つまり、今作は三上博史の美しさを堪能するだけの映画である。
 

今の日本の姿そのもの? いや、全然違うでしょ。モデルはちゃんと古い日本だよ?

内容に関してはそこら中で擦られているのでそちらに任せるとして、今作の感想を漁ると「今の日本の姿そのもの」という感想が多い。
 
日本の治安を悪化させる(と思われている)海外からの移民、日本人側は、自分たちの居場所を奪う存在として彼らを差別対象に認定する。
 
恐らくこのあたりを今作に重ねているのだと思うが、いや、全然違くね?
共通する部分がないとは言わないが、今作はちゃんと“古い時代の日本”をデフォルメした世界だと思うのだが。
 
「小さな村の物語 イタリア」とかいう暴力的癒し番組。土曜日の夕方、大切なものを求めて僕はテレビの前で旅に出る
 

日本=経済大国の空気が根強い時代。彼らは自分たちがアングラの住人だと自覚してたよね

1996年当時はバブルが弾けて数年経ち、円が最強の通貨ではなくなった。
だが「日本=経済大国」という空気感は根強く残っており、同じ時期に発表された小説「不夜城」(馳星周)も歌舞伎町を跋扈する中国人社会を描いた作品として注目を集めている。
 
円盗(イェンタウン)と呼ばれる彼らも、歌舞伎町の裏社会で甘い汁を吸う中国人も、主な目的は「豊かな日本に来て(非合法に)円を稼ぐ」こと。
劣悪な環境で働かされても、強制送還や命の危険と隣り合わせの生活を強いられても母国に帰りさえすれば勝ち組になれる。
 
もっと言うと、当時の彼らは自分たちがアングラの住人であることを自覚している。日本への愛着、帰属意識などはなくあくまで一時的な出稼ぎ先にすぎない。生活の質や社会的な承認よりも「日本で稼いだ小金が故郷で富に化ける」現実の方がはるかに重要である。
 
映画「孤狼の血」感想。8割役所広司で成り立つ作品。雰囲気重視の真木よう子も悪くないw 白石和彌監督っぽいなと思ったけどやっぱりそうだよね
 

2026年現在、彼らは正規の制度に基づいて来日している。当然生活の質、社会的な承認も求めるよね

円都(イェンタウン)は単なる外国人が差別される街ではなく、彼らが独自の価値観と生存戦略によって作り上げた、一般社会とは隔絶された場所。
 
一方2026年現在、彼らは「違法な存在」として日本に来るわけではない。
多くの外国人は観光、留学、就労、その他。正規の制度に基づいて来日し、生活基盤を築いている。
 
なので、生活の質の向上や社会的な承認も当然のように求める。
劣悪な労働環境、差別に直面すれば自分たちの生活、アイデンティティを守るためにしっかりと抗議する。
 
 
今作「スワロウテイル」(や不夜城)で描かれているのは間違いなく前者。
彼らは社会の外側に置かれていることを自覚し、社会のルールから逸脱することをいとわない。
 
「制度の外で生きる」ことと「制度に参加しながら差別や不利益を受ける」ことはまったく別のもの。
前者は(相対的な)円の強さに便乗する側であり、後者はむしろ円安の影響の方が大きい。
街中で様々な言葉が飛び交う状況は同じでも中身は正反対である。
 

冷笑前期の1996年。「がんばることがダサい」風潮が強かった。そこに就職氷河期が到来し…

今作が発表された1996年はなかなか絶妙な時期だったと思う。
 
今作を「映画としてはペラッペラ」「三上博史の美しさを堪能するための映画」「“雰囲気もの”の側面が強い」と申し上げたが、当時の時代背景が色濃く出ている作品でもある。
 
1996年はいわゆる「がんばることがダサい」風潮が強かった。
バブルが弾けて大手証券会社や銀行の破綻が起き、戦後日本の「がんばれば豊かになれる」という成功体験が信じられなくなりつつある時代。
 
僕は勝手に「冷笑前期」と呼んでいるのだが、物事を斜め上から切る、斜に構える、シュールであれ的なサブカル志向がよしとされ、レールに乗らない生き方を肯定する空気が生まれ始めた時期である(それにハマったのがナンシー関やダウンタウン)。
 
映画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」感想。家族に「ただいま」を言えたのはわずか34人。田丸均一の第三者視点が戦争の凄惨さを際立たせる。「西部戦線異状なし」と同種の空気感
 
その年代が成人し「いざ就職!!」というタイミングで企業が新卒採用を絞る、いわゆる就職氷河期に突入するわけだが、この時代背景と当時の斜め上からのサブカル志向が見事にマッチした。
 
「働いたら負けだと思ってる」に代表される“とらわれない生き方”。
「あえて選ばない自分」を演出することで何ものにもなれない惨めさをカモフラージュする。
 
てか、本当に働いたら負けだと思っている人間はわざわざそれを口にしないですからね。
それを言うというのは、少なからず後ろめたさが残っている証拠なわけで。
 

敷かれたレールから外れる俺カッケーの空気が今作とモロにマッチした

敷かれたレールから外れる自由な俺カッケー、他人とは違う視点で物事を考えられる特別な俺すげえだろ。
当時の日本に漂っていたこの空気が今作「スワロウテイル」とモロにマッチした。
 
今作の登場人物は会社に入って出世して、家庭を築くような正統派な生き方はしない。
刹那的で欲望に忠実で、社会の枠から外れた場所で足掻きまくる。その姿は自由奔放で幸せそうにすら見える。
 
そして、岩井俊二はその姿を美しく、意味ありげかつオサレに撮ってみせた。
結果、これまで是とされたルート、出世や成功が相対的にダサいものに見える現象が起きた。
 

「あえて選ばなかった特別な俺」でいるために理解できる側のポジションをキープする。たとえ大した意味がなかったとしても

猥雑な街、飛び交う言語、人種、音楽、映像……。
 
何かわからないけど魅力的で、何かわからないけど意味ありげな何か。
具体的に何を描いて何を言いたいのか、どこに説得力があるかはよくわからない。
 
ただ、それをわからないと言ってしまうと「他人とは違う視点で物事を考えられる特別な俺」ではいられなくなる。
 
“理解できる側”として「あえて選ばなかった特別な俺」でいるためには「スワロウテイルを理解できない」「おもしろくない」とは口が裂けても言えない。
岩井俊二の思考を租借し確固たる正解を持っていなければならない。
 
ヤオハン、ヒタチ、グリコ。
これらは日本の大衆消費社会の象徴であり、商品名や企業名を人間のアイデンティティーに置き換えたもの。
と同時に裏社会で蠢く彼らの姿を沈みゆく日本と重ねている。
 
アゲハという名前には底辺から抜け出そうと足掻くイェンタウンたちの魂の叫び、願いが込められている。
 
バブルが弾けた1996年にこの作品を発表したのも、かつての浮かれていた日本への強烈なアンチテーゼ。
 
などなど。
企業名や人物名、設定の解釈の仕方は何通りも存在する。
さらにその解釈を盾にして「おもしろくない」「よくわからない」と感想を述べた人間を「君にはわからないんだね」と見下すことができる。
 
映像の強さも相まって、特別な存在である自分を演出するために今作は最高の題材である。
 
たとえヤオハン、ヒタチ、グリコが岩井俊二の中では単なる記号でしかなかったとしても。
たとえ1996年の公開に大きな意味はなかった、脚本執筆時がバブル真っ最中だっただけだとしても。
 
今作が「“雰囲気もの”の側面が強い」と申し上げたのはそういう意味である。
 
映画「生きててよかった」に期待。どつき合いしか取り柄のない社会不適合者のクズが最底辺まで堕ちるパターンであれ。キッズ・リターンどころかアダルト・デッドを希望する笑
 

北野武はアプローチは真逆だけど、「観客を試す」という意味ではやってることは同じだよね

表題の通りだが、「スワロウテイル」と真逆のアプローチで“意味ありげ”な演出をしていたのが北野武映画。
 
唐突に発生する暴力。
登場人物に必要以上にしゃべらせない。
絵画を挟み込む。
 
極力説明を省き、抽象画のような作りで格調高さを醸し出す。
実際に格調高いかどうかはともかく「観客に説明しないこと」で独特の緊張やリズムを作り上げる。
 
「スワロウテイル」のようにグリコ、アゲハといった気取った固有名詞、退廃的な風景に音楽を乗せ、よくわからない言語を飛び交わせる等の盛りまくりの手法とは正反対である。
 
北野武が岩井俊二のことを「本気で喧嘩をしたことがないのでは?」と評していた覚えがあるが、改めて見ると(当時の)両者はマジで相容れない同士だったと想像する。
 
 
そして、どちらの作品も観客に「何か意味があるのでは?」と考えさせる余白を持たせているのが大きい。
 
言語化しないことによって作品の価値が高いように見せる手法。
本人たちが意図していたかどうかはともかく、観客側の「理解できる俺カッケー」を満たすやり方という意味では共通している。
 
映画「シェルター」感想。これは「バイオレンスな『パーフェクト・ワールド』」だわ。擬似親子のロードムービー、ゾンビ並みにしぶとい刺客は「ターミネーター2」、ラストのオサレ感は「レオン」。いつものステイサムに新たなテイストを…
 

ダウンタウンを含めて「理解できる俺vs観客を教育する作り手」という変な緊張感があった

何となくだが、ダウンタウンの笑いを含めて当時のエンタメには「理解できる俺カッケー」vs「俺たちが観客を教育してやる」的な、変な緊張感があった気がする。
 
理解できなければ「自分の感性が足りない」。
おもしろくないと言ってしまえば「ホンモノを理解できるセンスがない」。
 
斜め上の視点を持つ特別な俺、サブカル的な視点とも共通する、「何を評価できる自分でいられるか」がめちゃくちゃ重要。
 
みんなが素直に感動しているものを冷笑し、みんなが楽しんでいるものを「浅い」と切り捨てる。
理解できる自分、そうでない人間を見下すポジションをキープすることに凄まじい労力を使う。
 
「わかっている俺」でいるために。
「社会的成功などという幻想に騙されなかった人間」でいるために。
 
つまり、冷笑前期である。
 

2000年代前半から2010年あたりまでを冷笑中期、それ以降を冷笑後期と呼んでいる

ちなみに僕の考える冷笑中期は2000年代前半から2010年あたりまで。
 
対象を一歩引いた場所から観察し、矛盾や失敗を指摘することで優越感を得る。
2ちゃんねるの影響で掲示板やブログで「他人の穴を見つける」こと、それを笑う空気がまん延した。
 
冷笑前期のような、自分が何者である必要もない。
信念や思想、趣向を前面に出すよりも他人のあらを探して冷笑すること自体がコミュニケーションとして成立した。
そして、それをやるには一定の技術、他者を出し抜くセンスが必須だった。
 
 
冷笑がさらに加速したのが2010年代から2020年あたり。僕はここを冷笑後期と呼んでいる。
 
SNSの浸透によって批判や嘲笑の拡散スピード、範囲が桁違いに広がった。
結果、誰を批判するか、誰を嘲笑するかによって自分の立ち位置、所属を確保できるようになる。
物事を俯瞰して見る視点としてだけではなく、冷笑が他者の評判や社会的な価値にまで影響を及ぼす状況。
 
もともと「自分が傷つかないための防衛手段」「自分が何者なのかを説明するための美学」だったものが、「他人を傷つけることで集団内の立場を調整するため手段」へと移り変わっていった。
 
最初は選ばれなかった側の生存戦略だったはずの冷笑が、誰かをサゲて遊ぶ娯楽に変わったというのはなかなかにアレである。
 
いじめ、暴行動画のSNS(ネット)晒しに思うこと。互いに銃口を突きつけ合う相互監視のツールができたのはいいことじゃない? でも晒すならせめて格式高く(?)晒そうぜ
 

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映画としてはペラペラだけど、音楽映像としてはめちゃくちゃ強い。そして三上博史が美しい

そんな感じで今作「スワロウテイル」は冷笑前期の時代背景にドはまりした作品だと思っている。
 
改めて観ても映画としてはペラッペラ。雰囲気イケメンというか、「何となく深そうな空気感」で勝利した作品である。
 
 
一方、音楽映像としてはめちゃくちゃ強い。
マイ・ウェイを始めとした挿入歌は文句なしに素晴らしかった。
 
今作のタイトルを冠した「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」がエンドロールまで流れないのもいい。
Charaの特徴的な歌声と作品の雰囲気がマッチして、今作のキモである「何かわからないけど意味ありげ」な空気を作り出している。
 
 
グリコのデビュー後にマネージャーの星野がフェイホンをハメるあたりから妙に現実感が出てくるのもgood。
 
夢をかなえた途端、諸々の夢が醒め始める。
自分たちが違法な存在であることを強制的に自覚させられる。
 
シャバに戻ったフェイホンが最初に目にしたのは「YEN TOWN CLUB(イェンタウン・クラブ)」の看板が外されるところ。
「また楽しいことをやれる」と大はしゃぎしたフェイホンの視線の先にあったのが、不法滞在者たちの夢の終わりを象徴する(現実に戻る)光景。
あそこは個人的に印象に残ったシーンである。
 
あと、三上博史が美しい。
 
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