「うっせぇわ」の批評記事に対する意見を言ってみる。フィルターを通して見えた世界がすべてだって思いがちだよね。僕もだいぶイタいヤツだったし

「うっせぇわ」の批評記事に対する意見を言ってみる。フィルターを通して見えた世界がすべてだって思いがちだよね。僕もだいぶイタいヤツだったし

先日「現代ビジネス」のサイトに下記の記事が掲載された。


2020年10月にYouTubeに投稿され、2021年3月12日時点で9000万回以上再生されている「うっせぇわ」
歌い手は2002年生まれの現役女子高生Adoで、作詞作曲は米津玄師と同じくボーカロイドシーンから排出されたsyudouである。
 
同記事ではこの「うっせぇわ」が誰に向けたものなのか、またこの曲の対象から外れた世代の人間がAdoやsyudouの世代からどう見られているのかについての批評が展開されている。
 
 
僕はAdoやsyudouについての知識は皆無で、「うっせぇわ」もサビの部分をうっすら聴いたことがあるくらい。正直、ボーカロイドの世界にもピンときていない。
 
 
だが記事自体は非常に興味深く、せっかくなのでこれに便乗して自分の考えを言ってみようと思ったところ……。
 
リプ欄や引用RT欄の地獄っぷりにビビり倒した次第である。
 
中でも印象的だったのが「記事が長い」という声がめちゃくちゃ多いこと。
スマホの使用率が高い現状、幅広い世代に向けて何かを論じることがどれだけ難しいかを山ほど思い知らされている。


とりあえず全体を7ページに分けたのは明らかにやり過ぎだったし、これだけ断定口調でものを言えば反発を生むのも理解できる。
 
↓この記事などは「うっせぇわ」をかなり過激な口調で否定しているが、全体を通して「私はこう思う」というスタンス。そのせいか、上記の記事ほど反感を買っていないように思う。


まあ、上記の記事内にも

ここから展開する議論は、「作者syudouはこう考えたはずだ!」と意図を言い当てるものではなく、あくまでひとつの批評である。

と“筆者の意見”であることが記されているのだが、ページを細かく分けたことで見逃されてしまった感が強い。
 
 
とは言え、記事が公開されてからすでに数日。
そろそろ反響も収まってきたんじゃないの? ということで、こっそり僕の意見を言ってみようと思う。
 
 
念のために申し上げておくと、僕は音楽の受け取り方など千差万別あっていいと思っている。上述のように細かく分析するのもいいし、「受け入れられない」とシャットダウンするのもいい。
 
音楽や文学は算数とは違う、それぞれが好き勝手に楽しめばいいというのが基本的な考え方である。
 
衝撃的にカッコいいアニソン、ドラマ、ゲーム主題歌ごった煮ランキングTOP10。僕が衝撃を受けた曲を順に挙げていくけど、忘れてるヤツもあるかも?
 

「ギザギザハートの子守唄」のオマージュの件に「ん?」と思った。尾崎豊を引き合いに出すのは違うんじゃ…

まずこの「うっせぇわ」がチェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」のオマージュからスタートしている件について。
 
「Ado うっせぇわ 歌詞 – 歌ネット」

ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフの様な思考回路
持ち合わせる訳でもなく

歌い出しの部分が「ギザギザハートの子守唄」に対するアンサーとなっており、筆者が言うには「うっせぇわ」には“年長者”世代を排除するトラップが仕掛けられているとのこと。
 
で、その流れでかつて若者のカリスマ的存在であった尾崎豊を引き合いに出しつつ、現代の若者像を語っている。
 
 
ここの部分に僕が「ん?」と思ったことをお伝えしておく。
 
僕が学生時代にとある授業で聞いた話で、
「尾崎豊が好きな人間に本物の不良はいない」
というのがある。
 
僕自身が授業で直接聞いたのか、その授業を受けた友人から聞かされた話なのかは忘れてしまったが、とにかく「ほほう、なるほど」と思った記憶がある。

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

校舎の裏 煙草をふかして 見つかれば逃げ場もない
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま

これは尾崎豊「卒業」「15の夜」の歌詞からの抜粋だが、上記2つの記事内でも尾崎豊は“不良の象徴”的な捉え方をされている。
 
 
だが「尾崎豊が好きな人間に本物の不良はいない」説によると、こんなもんは不良でも何でもない。
「不良への憧れはあるけど、いまいちはっちゃけられない」単なるファッションヤンキーに過ぎないとのこと。
 
なぜなら、本物の不良は
「わざわざ夜の校舎に忍び込んだりせず、真っ昼間に堂々と窓ガラスを割る」し、
「いちいち『煙草をふかした』『バイクを盗んだ』などと宣言せず、普通にくわえ煙草でナチュラルにバイクを盗む」
から。
 
彼らは「大人の目を盗んで悪事を働く」ことに快感など覚えない。
コソコソとルールを破って「ウェーイ! 俺たちフリョーだぜ!!」などとのたまうヤツは断じて本物の不良ではない。
 
要するに「触るものみな傷つけるナイフのような15歳」と、尾崎豊の歌う“若者像”はまったくの別物。
 
この説に従うのであれば、「ギザギザハートの子守唄」のオマージュの流れで尾崎豊を引き合いに出すのは完全に的外れということになる。
 
そして、僕はこの「尾崎豊が好きな人間に本物の不良はいない」説が大好きであるww
 

この歌詞を書いた方は社会人経験が少ない? フィルターを通して見た世界がすべてだと思いがち

上記の説を踏まえて再度「うっせぇわ」の歌詞を眺めてみると、
 
「Ado うっせぇわ 歌詞 – 歌ネット」
 
何となくだが、この歌詞を書いた方は社会人経験があまり多くないのかなぁとの印象を受ける。
 
インターネットやSNS、テレビ等からの情報で“大人の社会”を知った気になり、そこに仮想敵を作り上げてこき下ろす。
 
「自分は自分」「個を見てくれ」と強く訴えつつ、スマホやテレビ画面というフィルターを通して見た世界を十把一絡げにまとめてしまう。
 
多感な10代後半〜20代前半の時期にはありがちな思考と言えるのではないか。
 
 
なぜなら僕自身がそうだったから。
 
いや、もうね。
ホントにそうなんですよ。
 
この歌詞で「うっせぇうっせぇ」喚いている人、まんま10代のときの僕ですからね。
クソほど恥ずかしくなるんですよww
 
社会人のマナー?
経済の動向?
クソ喰らえでしょ。
 
なぜなら僕は“特別”だから。
あなたたちのような凡庸な歯車とは出来が違うから。
 
冗談でも何でもなく、ガチでこう思ってましたからね。
「僕なら世界を変えられる」と。
「なぜなら僕は選ばれた人間だから」と。
 
“世界”とやらが何なのかも理解していないくせに。
ただただ意味不明な自信とともに、すべての大人を見下していたイタいヤツ。
それが僕なのであります笑
 
ひょっとしたらこういうのは多かれ少なかれ誰にでもあることかもしれないが、少なくとも当時の僕はその思いが人一倍強かったことをお伝えしておく。
 
まあ、今では世界を変えるどころか、お気に入りの風俗嬢の出勤日に合わせて自分の予定を変える程度の小さな男に成り下がっているが(いや、うるせえよw)。
 
 
マジな話、自分が何者でもないと気づかされたときは愕然としたよね。
 
知ってました?
中学を卒業したら、試験を受けなきゃ高校に行けないんだぜ?
高校を卒業したら、進学or就職を選ばなくちゃいけないんだぜ?
学生生活が終わったら、就活しなきゃ働き口がないんだぜ?
 
だってアレだぜ?
 
俺だぜ?
“世界を変える男”だぜ?
 
普通に考えれば勝手にオファー()がくるんじゃないの?
ウンともスンとも言わないってどういうことよ? あ?
 
節目節目で凹まされるたびに現実を受け入れていったことを考えると、いわゆるこれが僕にとっての「闘いからの卒業」だったのだろうと(いや、ホントにうるせえわw)。
 
傲慢になりそうな自分への戒め。作家を40年もやっているという自負があるなら「校正者」と「編集者」は言い間違えたらダメ。絶対にダメ
 

社会のルールを破ることで反旗を翻すやり方が大嫌い。でも、やっぱり大人って汚いねぇ()

なお上記の記事内で「現代社会において10代(10〜19歳)の割合は総人口の8%程度。セクシャル・マイノリティの割合と同程度」との記述がある。
 
「飲み会で年長者と談笑した翌日に辞表を出す」のが現代の若者像であり、尾崎豊やチェッカーズの時代のように若者が表立って反抗するケースはほぼなくなったとのこと(尾崎豊とチェッカーズを同列で語ることが正しいかはともかく)。
 
 
ちなみにだが、僕は社会のルールを破ることで何かを訴えるやり方が心底嫌いである。
 
校舎の窓ガラスを割ったり他人の持ち物を盗んだりといった方法で世の中に反旗を翻すなど、まったくもってお話にならない。
 
やるなら真っ当な方法をとるべきだし、それができないなら変える努力をする。もしくはさっさと諦めて次に行く。
「○○のルールが適切でないなら守る必要がない」など、完全にテロリストの発想である。
 
 
その僕が学生時代に選んだ方法が「文章で表明する」ことだったわけで。
 
文章を書くことがちょっとだけ好きだった当時の僕は「新聞委員会」に入り、日頃から溜まっていた世の中(主に学校や教師)への鬱憤、批判を記事上でぶちまけてやった(内容は忘れた)。
 
で、それを意気揚々と担当教師に見せたところ……。
待てど暮らせど返事はなく、そのまま年度が変わってしまったという。
 
いや〜、大人ってホントに汚いねぇ()
 
 
その後、卒業文集で下記の一文を綴ったところ……。
「人間は他人の不幸が大好きな生き物」
 
担任の逆鱗に触れ、「この一文を消さない限り君の作文は文集に載せられない」と警告される事態に。
 
自分が“特別”だと思っていた当時の僕は当然その申し出を突っぱね、案の定僕の作文は卒業文集から削除されましたとさ。
 
いや〜、大人ってホントに汚いねぇ()
 
 
僕自身、今でも「人間は他人の不幸が大好きな生き物」だと思っているし、SNSの誹謗中傷などで命を絶つ人間を目の当たりにするとその思いは確信に変わる。
 
木村花選手の逝去に思うこと。いくら考えても誹謗中傷? 罵声? を浴びせた人間が最悪としか思えないんだよな。番組側の姿勢を見直すべきってのはもちろんとして
 
そういう重要なことをオブラートに包みつつ、生徒の大事な思い出を平気で奪った当時の教師を僕はいまだに許していない笑
 
と同時に、僕が世界を変えられるような“特別”な存在でないことを思い知った出来事でもある(うっせぇわ)。
 
 
 
アカン……。
 
「うっせぇわ」を聞いた30代以上が犯している、致命的な「勘違い」の記事に対する僕の意見を言うつもりが、単に僕がイタいヤツだったことを告白しただけになっておる……。
 
でもまあ、そこそこ楽しかったから別にいいか。
 

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