人生の特等席感想。データvs感覚じゃないんだよ。両方「ほどよく」取り入れるんだよ。でも映画自体はよかった。隙のない女が心を開くところにグッとくる

人生の特等席感想。データvs感覚じゃないんだよ。両方「ほどよく」取り入れるんだよ。でも映画自体はよかった。隙のない女が心を開くところにグッとくる

野球場イメージ
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映画「人生の特等席」を観た。
 
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「人生の特等席」(2012年米)
 
MLBアトランタ・ブレーブスのスカウトであるガスは、長年凄腕としてならしてきたベテランスカウト。
ところが、ここのところ視力の衰えにより調子が上がらない。それどころか、家具につまづいたり料理を焦がしたりと私生活にも支障が出始めるほどだった。
 
ここ最近、ガスの様子がおかしいと感じていた親友のピートは、ガスに内緒で担当医に会いにいく。そして、失明の危険もあるほどガスの目の状態が悪いことを聞かされる。
 
 
衝撃の結果に慌てたピートが向かった先は、ガスの娘・ミッキーが務める弁護士事務所。
 
長年、父親ガスとの折り合いが悪く、その父を見返すように仕事にまい進するミッキー。その甲斐あってか、彼女は大出世まであと一歩のところにたどり着こうとしていた。
 
そんな折、ピートから突然父の症状を聞かされ、ミッキーは深く思い悩む。
 
 
家庭を顧みず仕事一筋だった父親。
幼い頃に母親を亡くし親戚に預けられたミッキーは、大好きだった父親から捨てられたと感じ、ガスを恨んでさえもいた。
 
だが、久しぶりに対面したガスは予想以上に老いを感じさせ、ミッキーを一層不安にさせる。
 
そして数日後。
悩んだ末にミッキーはスカウトとして父に帯同することを決心するのである……。
 
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「人生の特等席は」野球映画ではなく“野球を題材にした”ヒューマンドラマ。「マネーボール」を意識したのかな? と思う作り

まず最初に申し上げておくと、この作品は野球映画ではない。あくまで“野球を題材にした”ヒューマンドラマである。
 
 
今作はクリント・イーストウッド演じる老スカウト・ガスの老いを感じさせるシーンからスタートするわけだが、同時にガスが自分のやり方を絶対に変えようとしない頑固者であることも強調される。
 
自分の様子を心配するピートに「全然できる」「問題ない」と言い張り、「たまにはPCも使ってみろよ」というアドバイスには「そんなものは必要ない」と断固拒否する。
 
 
どうやらこれは、前年に公開された映画「マネーボール」へのアンチテーゼとしての意味合いもあるとか。

 
2011年公開の「マネーボール」では、「コンピュータに何がわかる」「人間の目で見てこそ選手の良し悪しがわかる」と言い張るスカウト連中を尻目に、ビリー・ビーンが自ら連れてきたデータ解析の専門家とともに補強を進める様子が描かれる。
 
それに対し、今作の「人生の特等席」では徹底したデータ主義のスカウトが、経験と感覚で勝負するガスのやり方を真っ向から否定する。
 
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ビリーと対立するスカウト陣をやたらと滑稽で時代遅れな人物として登場させたのが映画「マネーボール」。
「あの選手は顔がいい」「雰囲気が違う」など、およそ野球とは関係ない理由でドラフト指名を決めるような描写が散見される。
 
そして、「人生の特等席」ではまったくの逆。
調子が上がらない選手に対し、ガスが「親を呼べば解決する」と指示を出し、データ主義のスカウトは「試合など観ても仕方ない」と断言してしまう。
 
「マネーボール」でのビリー・ビーンは近代野球をいち早く取り入れた柔軟な思考を持つ人物として描かれるが、「人生の特等席」のフィリップは昔気質のガスを嘲笑し、数字だけですべてを判断しようとする頭でっかちで嫌味なヤツ。
 
確かにこれは「マネーボール」を意識して作られたのかな? と思わされるほどの真逆っぷりである。
 

ビリー・ビーンの成長物語が映画「マネーボール」の魅力だと思う

これに関して僕の意見を言うと、
「いや、そんなことはないんじゃない?」
 
繰り返しになるが、「人生の特等席」は野球映画ではなく“野球を題材にした”ヒューマンドラマ。
それに対し、個人的に「マネーボール」は野球映画と呼んでも差支えないと思っている。
 
以前の感想記事でも申し上げたが、「マネーボール」のビリー・ビーンは徹底したデータ主義で成功を勝ち取ったわけではない。
 
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「俺の言う通りに起用すれば間違いない」と感情論を排したチーム編成を敢行したがうまくいかず、シーズン途中で方向転換を図る。
 
選手一人ひとりに細かいデータを提示し、本人も気づいていない強みと弱みを丁寧に説明する。
また、ベテラン選手にはチームリーダーとしての自覚を持たせ、調子の上がらない選手の指南役を担わせる。
さらに「試合は観ない」「チームには帯同しない」というポリシーを曲げ、自らの意思で球場に足を運ぶ。
 
その結果、自分がスカウトした選手が最後の最後に目の前で逆転ホームランを放つ。
データと感覚が絶妙なバランスで融合した結果、ほんの少しだけデータを超越した奇跡が起きるのである。
 
無機質な数字だけでは人は動かない。対話による意思疎通も同じくらい重要。
そのことに気づいたビリー・ビーンの成長物語こそが、映画「マネーボール」の最大の魅力だと思っている。
 
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データと感覚は相反するものではなく、どちらも「ほどよく」取り入れてこそ効果を発揮する。そういう意味でも「人生の特等席」は野球映画とは呼べない

何が言いたいかというと、要するにデータと感覚は相反するものではない。
データも重要だし、感覚や経験も同じくらい重要。どちらが上か下かという話ではない。
 
「人生の特等席」の中で「データを見ればすべてが分かる」「試合など観る必要がない」と言い張るフィリップは話にならないが、朝っぱらから虫眼鏡片手に山積みの新聞とにらめっこしているガスもアカン。
 
金属バットと木のバットでは当然打ち方が変わるし、変化球への対応は実際に映像を見ないとわからない。映像がないなら現場に足を運ぶしかない。
 
といっても、別に「音でわかる」などとドヤ顔をする必要はないし、そもそもデータベースにアクセスすれば済むものをいちいち昔の新聞をひっくり返すなど愚の骨頂でしかない。
 
調子が上がらない選手の精神的なケアは必要だし、配球パターンやフォームから原因を探ることも大切。
 
当たり前の話だが、データvs感覚ではなく両方を「ほどよく」取り入れることが大事
 
「マネーボール」のビリー・ビーンはそのことに気づいて成功したが、「人生の特等席」はデータvs感覚、デジタルvsアナログの構図で最後まで押し切った。
最初のアプローチこそ真逆だったが、そこからビーンの成長過程をうまく描ききった「マネーボール」は、決して「人生の特等席」と相反する作品ではないということ。
 
そういう意味でも「マネーボール」を野球映画と呼ぶことに異論はないが、「人生の特等席」はあくまで“野球を題材にした”ヒューマンドラマだと申し上げている。
 
もちろん、映画としてどちらが優れているかという話でもない。
 

ミッキーのキャラクターはよかった。「隙のない女」の心の壁が氷解していく様子にグッときた


あとはアレだ。
エイミー・アダムス演じるミッキーはよかったよね。
 
幼い頃に捨てられた寂しさを紛らわすため、自分を捨てた父親を見返すため、出世街道にまい進するミッキー。
心に分厚いバリアを張り、彼氏とのデートでも常に一歩引いたスタンスを貫く。どんな相手にも決して本音を見せることはない。
 
そんなミッキーが父親と行動を共にするうちに自分の居場所を思い出し、旅先で出会ったジョニーに「思いきって心を開いてみろよ」と背中を押される。
 
肩肘を張らず、素直な自分に戻れる場所。
三等席なんかじゃない、父親の隣こそが私の“人生の特等席”
 
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まあ、僕も経験あるけど「隙のない女」ってホントにつまらないんですよね。
あれこれ話しかけても一方通行で、どこにも突破口が見つからないあの感じ。
 
今日この場で結果が欲しいわけじゃないけど、やっぱり何となくの手ごたえはあった方がいい。でも、あの手この手がまったく通用せず、すべてが徒労に思えてくるという。
「え? じゃあ何で今日来たのよ?」みたいな。
単純に僕がモテないだけという噂もありますが。
 
作中でも彼氏にフラれて愕然とするミッキーの描写があったが、いや、そりゃそうなるでしょと。
あれだけハイスペックな男なら、無理してミッキーに固執する必要もないし。さっさと諦めて次に行くよねって話。
そして、その「隙のない女」ミッキーの心が氷解していく様子はマジでグッとくる。
 
自分の娘に「若い者同士で飲んでこい」と促したガスもめちゃくちゃ粋だし、湖畔で服を脱ぎ捨ててザッブーンするミッキーもよかった。
 
で、極めつけはドラフトの結果に怒り心頭のジョニーを引き留めるミッキーの懸命さ。恐らくだが、それまでのミッキーであれば“気にしないフリ”をして本音を隠し通したのではないか。
 
球場の外で待っていたジョニーにミッキーが駆け寄るラストは、個人的に作中最高のシーンだったと思っている。
娘の幸せを見届けて歩き去るガスの後ろ姿。アレはマジでイケてた。
 
まあ、ちょっとだけ「え? 仲直り早くね?」とは思ったけどね。
てか、そういう粗さがしをするといろいろあるけど、その辺は別にいいや。
 
なぜならクリントイーストウッドだからね。
脚本と演者の魅力で細かい矛盾をねじ伏せるのがこの人の持ち味だからね。
 
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