映画「ボーイズ’ン・ザ・フッド」感想。カリスマ性、説得力を生むには強めの口調で断定するべし。自信と強気がお前に味方する。父親フューリアスのイケメン物語

映画「ボーイズ’ン・ザ・フッド」感想。カリスマ性、説得力を生むには強めの口調で断定するべし。自信と強気がお前に味方する。父親フューリアスのイケメン物語

インパライメージ
「映画・マンガ・ドラマ記事一覧リンク集」へ戻る
 
映画「ボーイズ’ン・ザ・フッド」を観た。
 
〜〜〜〜〜
 
「ボーイズ’ン・ザ・フッド」(1991年米)
 
少年トレが暮らすサウス・セントラル地区は、日常的に黒人同士の殺人が起きる荒廃した地域。
朝、学校に行く途中に銃で撃たれた人の亡き骸が転がっていたり、強盗や麻薬の売買が恒常的に行われていたり。
 
厳格な父フューリアスと生活するトレは、それでも幼なじみのリッキーたちと楽しく毎日を過ごしていた。
 
 
だが、リッキーの兄ダウボーイはギャングに身を落とし、刑務所とシャバを行ったり来たり。
母ブレンダも優秀なリッキーにばかり愛情を注ぎ、ダウボーイにはつらく当たることが多い。
 
そんな兄をリッキーも苦々しく思いながらも、アメフトの推薦で大学に行けることに喜びを爆発させる。
 
 
ある日、リッキーはブレンダに頼まれてトレとともに買い物に出かける。
その道中、2人は兄と対立するギャングに襲われ、リッキーは尊い命を落としてしまう。
 
親友リッキーを殺され怒りに震えるトレは、父フューリアスの説得を聞かずダウボーイの車に飛び乗り復讐に向かうのだった……。
 
 
ジョン・シングルトン監督のデビュー作であり、公開当時、上映された映画館で暴動や発砲事件が起こるほどの衝撃を与えた作品である。
 
〜〜〜〜〜


 

「ボーイズ’ン・ザ・フッド」はよかったぞ。最近観たブラックカルチャームービーの中ではかなりの上位

(僕の中で)ひそかなムーブメントが起きているブラックカルチャームービー。
 
ここ最近、90年代に量産されたHIPHOP+ブラックカルチャーを題材にした映画を適当に漁るというスローライフ(?)を送っているわけだが、今回観たのは1991年公開の「ボーイズ’ン・ザ・フッド」である。
 
 
ちなみにだが、この1、2年で観たこれ系の映画は「シティ・オブ・ゴッド(2002年)」「ドゥ・ザ・ライト・シング(1989年)」「ポケットいっぱいの涙 -Menace II Society-(1993年)」の3つ(少なっ!!)。
定番中の定番と呼ばれるものばかりである。なぜならミーハー()だから。
 
これらの作品についての感想は、以前申し上げた通り。
・シティ・オブ・ゴッド→最高。観ないと人生損するぞ
・ドゥ・ザ・ライト・シング→クッソしょーもない。登場人物が全員胸糞悪い
・ポケットいっぱいの涙 -Menace II Society-→ええんちゃう? 普通のブラックカルチャームービーやね
 
「映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」。人種問題に切り込んだ? 他人の考えを許容できないバカどものなれの果て」
 
そして今回の「ボーイズ’ン・ザ・フッド」だが、かなりよかった
 
相変わらず「シティ・オブ・ゴッド」の衝撃には遠く及ばないが、それでも上記を含めた4作品の中では間違いなくNo.2。観て損はないと断言できる。
 
「シティ・オブ・ゴッド感想。くたばれクソ野郎ども。滅びちまえよ「神の街」。二度とこっち来んじゃねえ。で、次いつ会える?」
 

ストーリーは平凡。日常→希望→絶望のテンプレをそのまま踏襲したもの

具体的な感想だが、はっきり言ってストーリーに特筆すべき点はない。
 
荒廃した地域で暮らす若者たちの日常が淡々と描かれ、物語後半に主人公の大切な人(親友や兄弟)が殺される。
 
怒りに突き動かされ、親友の復讐に向かう主人公。
だが、引き金を引くまでの葛藤や復讐を果たした後の空しさによって、復讐の輪廻と無意味さに気づかされる。
 
そして、最後は自分たち(本人や仲間)も銃弾に倒れ、涙のエンディング。
 
「「ポケットいっぱいの涙」感想。誰もが思わず涙したらしいが、そうか? まあ量産型ブラックカルチャー映画だわな」
 
「復讐には終わりが見えない」
「いつかは俺も復讐されるのかも」
「でも、それも仕方がない」
 
Ice Cube演じるダウボーイがラストのシーンでこう言うのだが、このセリフを聞いた視聴者が、
「二十歳前後の若者にここまで達観させるほどの過酷さってどうなの?」
「まさしくこれが僕たちの知らないリアルだよね」
という感想を持つまでが一つの流れとなっている。
 
「実写版「銀魂」感想。MVPは神楽で文句ないよな? 新八もがんばった。実は意外にハマり役だったのが…。予想以上によかったよ」
 
貧困層で巻き起こる異常性。
非日常が日常化した環境。
否応なしに理不尽を強いられ、それをごく自然に受け入れる若者たち。
 
そこから抜け出そうとするも、抗えない現実を突き付けられ跳ね返される。
どうにもならない闇の深さに気づいたときは、すでに銃弾が身体を貫いている。
 
HIPHOPをBGMに、バッドエンドに向かって一直線。
異世界で起こる非現実をあっけらかんとしたノリで描写する。
 
これがブラックカルチャームービーのテンプレであり、今回の「ボーイズ’ン・ザ・フッド」もその流れをきっちり踏襲した作品である(と思う)。
 
「ダイの大冒険は結局ポップなんだよな。かっちょいい技ランキングTOP10第2回。名言自動販売機と化したポップの活躍に震えろ」
 

トレの父親フューリアスの存在感が作品に規律を与えた。人生の指標となる存在を据え、雑多な空間を秩序あるストーリーに昇華させた

「ストーリーに特筆すべき点はない」「『ブラックカルチャームービー』としてはオーソドックス」などと申し上げてきたが、じゃあなぜ「ボーイズ’ン・ザ・フッド」がよかったのか。
 
クッソしょーもないと申し上げた「ドゥ・ザ・ライト・シング」とこの映画の違いは何か。
 
別に引っ張る必要もないので答えを言うと、一番はトレの父親フューリアス・スタイルズの存在。
「ボーイズ’ン・ザ・フッド」はここが本当にずば抜けていた。
 
 
マジな話、この映画のキモはフューリアスの存在感だとしか言いようがない。
 
10歳のトレは「男に育てあげるのは父親の仕事」という理由(要するに母親が子育てを投げ出した)で別れた父親に預けられるわけだが、初登場時からこの父親の醸し出すオーラは凄まじいww
 
「アニメ「メガロボクス」はあしたのジョーというよりサムライチャンプルーだよな? 主人公もモジャモジャ頭だし」
 
息子トレのことを「プリンス」と呼び、自らは「キング」を自称する。
トレを引き取った日に「キングは命令する」「俺の仕事はお前に食事と衣服を与えること」と宣言し、厳格な態度で息子に接する父親。
 
初見では「あれ? コイツはいいヤツなの? ダメなヤツなの?」という疑念が湧くのだが、すぐ後の2人で釣りをするシーンで「お、コイツはアリだな」とわかる。
 
 
父のブレない教えのおかげで、トレは多感な時期にも悪の道に染まることなく成長する。
リッキーの復讐を寸前で思いとどまれたのも、「仇を討つなら俺を殺してから行け」という父の言葉があったから。
 
日常的に銃やドラッグが蔓延するサウス・セントラル地区。
子育てを放棄してドラッグにおぼれる母親、幼なじみが悪の道に堕ちていく中でもトレがまっすぐ生きていけたのは、やはり父親の存在が大きい。
 
「人生の特等席感想。データvs感覚じゃないんだよ。両方「ほどよく」取り入れるんだよ。隙のない女が心を開くところにグッとくる」
 
ラリー・フィッシュバーン演じるフューリアス・スタイルズが抑揚のないストーリーをドラマチックなものに変え、雑多な日常に一定の規律を与えた。
 
思慮の浅いエテ公どもが無秩序に暴れまわった「ドゥ・ザ・ライト・シング」との最大の違いはここである。
 
下記はジョン・シングルトン監督のインタビュー記事なのだが、この人が映画を作る上で大切だと考えるポイントについてはなるほどと思うものがあった。


中でも「自分を投影できる存在が一切登場しない作品を見ると、自分の存在価値がわからなくなる」という言葉は、まさに「ボーイズ’ン・ザ・フッド」におけるフューリアス・スタイルズの存在を端的に表したものだと思う。
 
「映画「Slam(スラム)」でポエトリー・リーディングの雨に降られろ。ソウル・ウィリアムズの魂の叫びがメロウでトラディショナル」
 
あとはリッキーの母親ブレンダが煙草をピンッと飛ばすシーン。
アレはこの映画の隠れ名シーンだと思うのだが、どうだろうか。
あそこまで見事に煙草を飛ばす人を、僕は何年も見た記憶がないww
 
「エイリアン2が神映画である理由。映画史に残る戦う幸薄女のリプリーさんの無双から目を離すな」
 

強めの断定口調、堂々とした態度にはカリスマ性を生む力が宿る。自信と強気がお前に謎のパワーをくれる

表題の通りなのだが、フューリアスのような毅然とした態度や強気で物事を断定する姿勢は、その人物に謎のカリスマ性、問答無用の説得力を与える気がする。
 
「キングコング:髑髏島の巨神が最高におもしろかった3つの理由。出し惜しみなく、アグレッシブにヘリを打ち落とせ」
 
正直、僕は作中でのフューリアスに100%同意しているわけではない。
彼の言い分に「ん?」と思うところもあるし、強引過ぎると感じる面も多々ある。
 
だが、息子のトレや親友リッキーはフューリアスにご執心。
兄ダウボーイが「あそこはやべえ」と恐れるほどの危険地域コンプトンでも、臆さず断定口調で演説をおっぱじめるクソ度胸もある。
 
トレが仲間から「お前の親父は教祖になれる」とからかわれるシーンがあったが、それもあながち間違いではない。
フューリアスの毅然とした態度、佇まいや口調からは、確かに教祖にも似たカリスマ性を感じる。
 
「第9地区は予備知識ゼロで観る映画。出会いに感謝したくなるほど最高。グロテスクなトランスフォーマーで度肝抜かれた」
 
ノリと勢いと言ったらアレだが、作中のフューリアスは人心掌握における一つの正解を示しているのかもしれない。
 
正解ではないが、間違いでもない。
ベストではないがベター。
 
サウス・セントラルのような場所に秩序をもたらすには、有無を言わせない剛腕はうってつけの指導者なのではないか。
 
「映画「ジャングル・ブック」感想。バルーとモーグリの大冒険。ちょっとだけバギーラ」
 
そして、フューリアスのアンチを恐れない潔さは普通に羨ましい。僕のように、いちいち予防線を張って自己防衛したくなるチキンにとっては特に。
 
この人がSNSをやっていたら、絶対にエゴサとかはしないんだろうなみたいなww
 
「映画・マンガ・ドラマ記事一覧リンク集」へ戻る
 

Advertisement

 

 

 

 

【個人出版支援のFrentopia オンライン書店】送料無料で絶賛営業中!!