映画「あゝ、荒野」感想。ベッドシーン多くね? 木下あかりの裸を見飽きるまさか事態に。古くね? 2021年設定でこのスタンスどうなん?
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映画「あゝ、荒野」を観た。
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「あゝ、荒野」(2017年)
2021年の新宿歌舞伎町。
少年院から出所したばかりの沢村新次は、かつての仲間である山本裕二に激しい怒りを燃やしていた。
数年前、新次は兄貴分の劉輝と組んでオレオレ詐欺に精を出していた。
ところが、共謀者であるはずの裕二の裏切りにより2人は路地裏で集団暴行にあう。しかも、加減を知らない裕二の執拗な暴行を受けた劉輝は、下半身に一生残る障害を負ってしまう。
幼い頃から兄貴分として慕っていた劉輝の未来を奪った恨み。
そして、自身を少年院送りにされた恨み。
燃え盛る怒りとともに、新次は裕二の所属するボクシングジムへと殴り込む。
一方、床屋で働く二木建二は、日本人の父親と韓国人の母親の間に生まれたハーフ。
母親の逝去後、父親に連れられ来日するが、その頃から父親の建二に対する虐待が始まる。元来内気な性格の建二は、吃音(きつおん)と赤面症によって他人とうまくコミュニケーションがとることができない。父親に対する怒りを内に秘めたまま、鬱屈とした毎日を送っていた。
そんなある日、建二が床屋のティッシュ配りをしていると、そこに偶然、ボクシングジムで返り討ちにあいボロボロにされた沢村新次が現れる。
突然のことに戸惑う健二と、怒りが収まらない新次。
その光景をすぐ側で見ていたボクシングトレーナーの堀口は、彼ら2人を行きつけの店に誘う。そして、自身の経営するジムへ入会するようにうながすのであった。
性格は違うが似た者同士の2人が運命に引き寄せられるように出会い、ボクシングにのめり込んでいく。
2017年に公開された寺山修司原作、菅田将暉、ヤン・イクチュン主演の長編映画である。
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話題になった「あゝ、荒野」は見ごたえ十分。主演2人の演技がすごかった
少し前に話題になった映画「あゝ、荒野」。
先日、たまたまWOWOWでO.A.されていたものを視聴したので、その感想を。
前篇、後篇各2時間半。
計約5時間の超大作だったのだが、噂通りなかなか見ごたえのある作品だった。
特に主演の2人、菅田将暉とヤン・イクチュンはすばらしい。
腹筋が6つに割れ、細マッチョという言葉がぴったりなほどにビルドアップされた菅田将暉。一方、ヤン・イクチュンの見事に隆起した肩周り、胸筋は、気弱そうな風貌からは想像もつかないほどのたくましさを誇る。
そして、作品の骨子となるボクシングシーンは説得力抜群。
ド迫力のシーンの数々からは、彼らがこの作品のために取り組んだ練習の日々を思い起こさせる。
どなたかがレビューでおっしゃっていたが、今作の菅田将暉は「GO」の窪塚洋介に似た雰囲気を感じさせるとのこと。
なるほど。
わかる気がする。
確かに当時の窪塚洋介が放っていた危うい色気は、今の菅田将暉に通ずるものがある。
「映画「いぬやしき」感想。哀愁ジジイの覚醒。男前陰キャラのメシウマ復讐劇。爽快感とモヤモヤの狭間で」
個人的なイメージとしては
浅野忠信→綾野剛
永瀬正敏→瑛太
といった感じなのだが、今回の窪塚洋介→菅田将暉もそのラインナップに追加させていただこうと思う。
まあ、どちらかといえば僕は今回の菅田将暉には「スワロウテイル」の三上博史を感じていたのだが。
その他、クズを演じさせたら天下無双のモロ師岡や、身勝手ヒステリックおばさんとして覚醒した木村多江、安心安定保証のユースケ・サンタマリアなど。
実に豪華かつ味のある面々が揃った作品だった。
ここから先は本音で。とりあえず、すべてが「古い」よね。年代とのギャップがエグい
とまあ、概ね楽しめた「あゝ、荒野」だが、ここからは本音で。
あくまで「楽しめた」ことが大前提で、僕が気になった部分にフォーカスを当てていこうと思う。
なお、それなりに好き勝手言うので、他人の文章に不快感を覚える方はこれより先を読むことをおすすめしない。
一応予防線を張ったところで、本音トークのスタート。
映画「ヤクザと家族 The Family」感想。脚本が「龍が如く」過ぎんだろ。オリジナル(?)の登場人物に魅力がなくて薄っぺらい作品だった…
まずアレだ。
古い。
もう、全部古い。
表題の通りなのだが、とにかく設定が古臭く、年代とのちぐはぐさが尋常じゃない。
レビューを読むと「リアリティがすごい」という言葉が散見されたのだが、いや、それはどうなんだろうか。正直、僕にとっては真逆というか、リアリティがなさ過ぎてなかなか感情移入がしにくい世界だったのだが。
幼い頃に父親が首を吊って自殺し、母親に施設に置き去りにされる。
その施設で出会った兄貴分と悪の道に足を踏み入れ、荒んだ生活の末に人を刺して少年院送りに。
出所後、復讐を果たすためにボクシングを始め、その過程でかけがえのない仲間、恋人と出会う。
って、古くね?
孤独な少年時代の影響で道を踏み外し、ボクシングと出会って更生する。
いや、絶対ないとは言わないが、古くねえっすか?
今どき、そういうのって違くねえっすか?
日本人の父親と韓国人の母親の間に生まれ、母親を亡くしたあとは父親と二人暮らし。無理やり連れてこられた日本で酒に酔った父親から虐待を受ける日々。吃音(きつおん)と赤面症の影響で周囲とうまくコミュニケーションがとれず、それが父親の暴力に拍車をかける。
辛い毎日に耐えかね家を飛び出し、ボクシングジムでの生活をスタート。
リングの上で自分を表現することに喜びを見出し、徐々に生きていることを実感する。
って、古くね?
愛情を知らない孤独な男が、ボクシングを通じて自分を解放していく。
いや、絶対ないとは言わないが、古くねえっすか?
今どき、そういうのって違くねえっすか?
母親が部屋に男を連れ込む間、少女は一人、家の外で情事が終わるのをじっと待つ。
幼心に、自分がどうやって養われているかを少女は理解していた。
震災後、足に大怪我を負った母親は少女の歩く速さについていけない。
「待って……、待ってよ」
か細い声で自分を呼ぶ母親の声を背に、少女は無言で歩き続ける。
目を閉じると、まぶたの裏に蘇る母親との記憶。
時が経ち、“女”となった少女は今日も身体を重ねた男の財布からお金をかすめ取る。
母親と同じことを繰り返す自分を嫌悪しながら。
って、古くね?
売春で育てられた少女が、かつての母親と同じ方法で食い扶持を稼ぐ自分に葛藤する。
いや、絶対ないとは言わないが、古くねえっすか?
今どき、そういうのって違くねえっすか?
2021年の新宿である必要性? あと、ベッドシーンが多過ぎてww
マジな話、これは2021年を舞台にする必要があったのだろうか。
「気弱な選手を罵倒してゴンゴン殴るコーチ」
「ボクサー2人だけのおんぼろプレハブのジム」
「グロッキーになってもちっともストップをかけないレフェリー」
などなど。
合理性を重視したトレーニング全盛の最中に時代錯誤も甚だしい。
あげくの果てには
「ボクシングはもっとも相手を憎んだヤツがチャンピオンになる」
いや、そんなバカな。
このご時世に力石徹みたいなこと言ってんじゃねえよww
主要人物の生い立ちだけでなく、諸々の設定がおよそ近未来とは思えない。これなら素直に1960〜70年代を舞台にした方がすんなり受け入れられたと思うのだが。
新宿周辺の街並みが見慣れたものである分、その中で動く人物像とのギャップが凄まじい。
「日本で一番悪い奴ら」感想。骨太感とポップさのバランスが絶妙。これは観るべき映画じゃない? 綾野剛はやっぱり若いときの浅野忠信だよな
あとはアレだ。
ベッドシーン多過ぎじゃないっすか?
ことあるごとにガバッと脱いでおっ始めるわけだが、そんなにいります?
確かに最初は「おお!!」と思うのだが、回を重ねるごとに「いや、またかよ…」と。
あまりに何度も放り込んでくるせいで、最終的に木下あかりの裸を見飽きるというまさかの事態にww
こんな都合のいい偶然があってたまるかww やり過ぎにもほどがあんだろ
ついでに言うと、世界が狭過ぎるよねww
偶然が偶然を呼び、それぞれの事情が複雑に絡み合う中、新次vs建二のラストバトルへとなだれ込むわけだが、まあ「ない」わな。ご都合主義というか、さすがにそれは違うんじゃないの? という出会いがあまりに多過ぎる。
ティッシュ配りをしていた場所が偶然ボクシングジムの目の前で、しかも殴り込みの真っ最中。偶然ビラ配りをしていたコーチと出会い、2人はボクシングを始める。
偶然出会った女と一晩を共にしたはいいものの、見事に金をネコババされて悔しがる。ところが数日後、その女と偶然ラーメン屋で再開し、そこに偶然にっくきライバルも来店する。
仕事場の社長の愛人はかつて捨てられた母親で、親友の父親は自分の父親を自殺に追い込んだ張本人。これは果たして偶然か、それとも運命か。
偶然訪れた本屋の店員が突然破水して倒れる。その店員は、偶然自分の父親を自殺から救ったメンバーの一人だった。
少女の生き別れた母親が偶然コーチの行きつけの飲み屋で働き始め、流れでコーチといい仲に。
こうして数奇な運命に引き寄せられた面々がラストマッチの場に集結し、壮絶な戦いを目の当たりにしながらそれぞれの人生に思いをはせる。
って、んなわけあるかww
いや、さすがにこれはやり過ぎ。
フィクションとはいえ、こんなに都合よく偶然が重なってたまるか。たとえ世の中の人間が30人だったとしても、ここまでの偶然が起きるわけがない。
別にリアリティをとことん追求しろとは言わないが、“ほどほど”のラインというのがだな……。
最初に申し上げた通り、この部分にリアリティがなさ過ぎてちっとも感情移入できなかった次第である。
傲慢になりそうな自分への戒め。作家を40年もやっているという自負があるなら「校正者」と「編集者」は言い間違えたらダメ。絶対にダメ
結局何が言いたかったんでしょうか。風呂敷を広げ過ぎたせいで、とっ散らかって時間だけを食った感じ
てか、この映画って結局何が言いたかったんだろうか。
「自殺研究会」の件もモヤモヤしたままたち消えになったし、裕二との決着も中途半端。芳子が新次の前から姿を消した理由も不明で、終わり方も何のこっちゃわかれへん。
恐らく遺体の名前は建二の父親の方で、ラストシーンのアレは新次の控え室に入った建二の目線だったと想像するが、「それが何?」と。
「前篇はよかったが、後篇はパワーダウンしてしまった」というのがこの映画の大方の評価のようだが、それすら僕にはピンときていない。
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ボクシングと出会って孤独から抜け出し、ボクシングによって再び孤独に突き落とされた新次。
ボクシングを通じて自らの居場所を見つけ、新次の拳に愛を感じようとした建二。
ってことでいいのか?
何となくだが、無理に風呂敷を広げたせいで収拾がつかなくなった感じ。調子こいた分、豪快にしっぺ返しを食ったというか。
てか、この映画って5時間も必要だったか?
もう少しコンパクトにまとめてすっきりさせられたんジャマイカ?
そもそもあんなにベッドシーンいらんでしょww
役者はみんないい味を出していただけに、いろいろともったいなかった。
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