鈴木悟という漢。元ボクシング日本ミドル級王者/元シュートボクシングS・ウェルター級王者。TAKE IT EASY.気楽にいこうぜ
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鈴木悟(1976年3月3日、東京都八王子市出身)
1997年ボクシングプロデビュー、翌1998年全日本ミドル級新人王獲得。
2000年8月に当時の王者保住直孝を8RKOで敗り日本ミドル級王座を獲得。そこから2003年に荒木慶大に敗れて陥落するまで9度の防衛を重ねる。
さらに2005年2月には中村頴司との決定戦を制し、2度目の王座戴冠。だが、同年6月の板垣俊彦戦で防衛に失敗し陥落する。
「スポーツイベント「どれだけ人を誘いたいか」ランキング。現地観戦レビュー「イベントミシュラン」の続き」
そして、王座陥落から約3か月後の10月にK-1初参戦。
マイク・ザンビディスを相手にデビューを果たすものの、2RKO負けを喫する。
翌2006年大みそかに魔裟斗と対戦するも、こちらも2RKO負け。
その後も2007年にチェ・ヨンス、2008年にイム・チビンに敗れ、K-1での戦績を0勝4敗とする。
だが、そこから諦めることなくキックボクシングに継続参戦。
2009年に阿久澤英一を1RKOで下してキック初勝利を挙げると、2010年からはシュートボクシングを主戦場に。
柔道経験を活かしたファイトスタイルで勝利を重ね、2011年には金井健治に1RTKOで勝利。ついにSB日本S・ウェルター級王座を獲得する。
「鈴木悟サイコーだぜww ベストボディ・ジャパンプロレス第3戦 in 新宿FACE。やっぱりプロレスおもしれえなw」
以降2013年の現役引退まで、アンディ・サワーや郷野聡寛、宍戸大樹らとしのぎを削る活躍を見せた。
また、選手活動の傍らインストラクター業もスタートし、現在は完全予約制のボクシング&キックボクシングジム「TAKE IT EASY」の代表を務めている。
「村田はブラントに勝負師として負けてる。準備、経験、覚悟。すべての面でブラントが上回り完勝。文句なしの感動的な試合だった」
ボクサーのK-1参戦の波に鈴木悟もガッツリ乗り、ローキックをザクザク蹴られて撃沈した
2005年。
曙vsボブ・サップの狂乱を経て、日本の格闘技ブームが一段落したころ。
キックボクシングイベント「K-1」はこれまでの無差別級と並行して、魔裟斗を新たなスターに据えての中量級戦線の活性化に励んでいた。
と同時に、2003年に元IBFヘビー級王者フランソワ・ボタ、2004年に元WBO同級王者レイ・マーサーを招へい。一時はマイク・タイソンの参戦の噂が具体化するなど、ボクシング界の大物獲得に躍起になっていた時期でもある。
「ロドリゲスの評価が下がった? いや、モロニーの評価が上がったんだよ。河野公平化したモロニーがロドリゲスを追い詰める」
中量級の活性化を目論むK-1にとって、鈴木悟の「元ボクシング日本ミドル級王者」の肩書きはまさにうってつけ。
デビュー戦でいきなりマイク・ザンビディスという強敵をあてがわれ、案の定、ローキックに対応できずに生まれたての小鹿にされてしまう。
「村田諒太に「引退してほしくない」理由。コイツの本音が聞きたいんだよな。ボクシング界どうこうじゃなく、てめえがどうしたいか」
翌2006年の大みそかには「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」で魔裟斗と対戦する大チャンスを得るも、あえなく撃沈。序盤はローキックに一定の対応力を見せたが、圧力を強めた魔裟斗の攻撃を防ぎきれず、再び生まれたての小鹿に。
ローキックに這いつくばる姿が大みそかに全国放送されたことで、後世まで語り継がれる手痛い惨敗となってしまう。
「鈴木悟? ああ、魔裟斗のローキックで小鹿にされた人ね」
2005年大みそかに大東旭、2006年大みそかに鈴木悟、2007年大みそかにチェ・ヨンス。
3年連続で元ボクサーが魔裟斗に生まれたての小鹿にされたことで、ボクシングはK-1の名声を高める狙いに大いに利用される形となった。
「川崎ブレイブサンダースvs三遠ネオフェニックスinとどろきアリーナ現地観戦してきたぞ。DeNA体制初年度」
「ボクシングは弱い」「格闘技として不完全」という認識が世間に広まり、ボクシング側が態度を硬化させてしまう
本来、キックボクシングとボクシングは別物。
間合いも違えば攻撃や防御のタイミングも違う。
ボクシングの日本王者だろうが、未経験のキックのリングで対応できるわけがない。
それをいきなり第一人者をあてがうK-1のマッチメークはどう考えても無茶だし、キックの素人相手にローキックの連打で勝利する魔裟斗はクソほど情けない。
だが、多くのライトなファンにとってはそんなことは関係ない。
元王者の鈴木がボクシング引退後すぐのK-1参戦だったこともあり、「ボクシングはK-1よりも弱い」「足の使えないボクシングは格闘技として不完全」という認識が世間に広まってしまう。
「TFC vol.3 in後楽園ホール現地観戦の感想。亀田京之介vs溝越斗夢戦でのパフォーマンスとか盛り上げ方とか」
これをきっかけに、ボクシング側は一気に態度を硬化。
プロボクサーが他競技に参戦した場合、ボクサーライセンスや引退後のセコンド、トレーナー等のライセンスをすべてはく奪する処置を西日本ボクシング協会が打ち出すなど、これ以降、両者の交流は皆無となる。
「魔裟斗vs五味(まさとvsごみ)とかいう最低のクソ試合。何だアレ、茶番ですらないわ。何がしたいのかさっぱりわからん」
そして、勢い込んでK-1に参戦した元ボクサーたちもあっという間に第一線を退き、二度とK-1のリングに帰ってくることはなかった。
キックを諦めなかった鈴木悟。何度負けても立ち上がり、転向6年目でついにシュートボクシング王座を獲得する
ところが。
当の鈴木悟はリングから去ることなく、その後もキックボクシング参戦を継続する。
K-1から声がかからなくなった後はJ-NETWORKや新日本キックボクシングなど、舞台を選ばずリングに上がり続ける。
その結果、2009年についにキックボクシング転向後初勝利を挙げる。
翌2010年から主戦場をシュートボクシングへ移すと、いきなり第一人者の宍戸大樹を相手に大健闘を見せ、今後に大きな期待を持たせる。
次の金井健治戦では、3R判定でシュートボクシング初勝利。
先日のSBの鈴木悟選手が金井選手に勝った。K-1初参戦でザンビディスに負けたときに誰が王者クラスの選手に勝てると思っただろう。こういう勝利は選手としても良い刺激を受ける。今日もがんばろう。
— 佐藤嘉洋【JKF池下7/1オープン】 (@yoshiHEROsato) 2010年6月8日
スタンディングでの投げ、締め技が可能なシュートボクシングのスタイルが鈴木のバックボーンである柔道と合致し、ついにキックルールの中で得意のパンチを活かす間合いを見つける。
「武居由樹の時代が来たぜええええぇぇ……!! って、えええええ??!! 武尊はぁぁぁあ??? K-1の主役2人にただただビックラこいた」
そして、2011年9月。
再戦となった金井健治とのタイトルマッチに1RTKOで勝利し、念願のSB日本S・ウェルター級王座を戴冠。
2005年にマイク・ザンビディスに生まれたての小鹿にされて以来、実に6年。
鈴木悟は、異種格闘技での2冠を達成した史上初の選手となるのである。
「結果を出すまでは絶対にやめねえぞって……」
何度負けても立ち上がり、ルールの違いに苦しみ抜いてようやくたどり着いたシュートボクシング日本王者。
「「“昔の名前”は卒業しました……」シュートボクサー鈴木悟の意地と覚悟。」
引退の際に発した「戦う事に燃え尽きた」という言葉。これは、挑戦し続けた男の心からの本音だったのではないか。
【シュートボクシング】元王者・鈴木悟が引退「戦う事に燃え尽きた」http://t.co/Mies1QATwb http://t.co/cUeeTlAaDS
— eFight(イーファイト)格闘技情報 (@efight_twit) 2013年10月25日
「井上尚弥がワンパンKO。パヤノを瞬殺ってマジっすかw ロドリゲスだ? いくらでもかかってこいよだね」
TAKE IT EASY. 気楽にいこうぜ
何度負けても別にいい。
いったん休んで、いくらでも這い上がれる。
挑戦し続ければ、そのうちいいことあるかもよ?
だって人生は地続きだから。
「プロレスやっぱりおもしれえw HEAT-UPとどろきアリーナ大会を生観戦。鈴木悟もプロレスデビューしたよ」
TAKE IT EASY.
気楽にいこうぜ。
2018年10月31日、鈴木悟はプロレスラーになる。
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