長谷川穂積のことは好きじゃないけど“世界”を見せてくれた選手だった。興味がなくてあまり観てなかったけど【WOWOWエキサイトマッチ感想】

長谷川穂積のことは好きじゃないけど“世界”を見せてくれた選手だった。興味がなくてあまり観てなかったけど【WOWOWエキサイトマッチ感想】
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2020年4月26日に放送された「WOWOWエキサイトマッチ井上尚弥・長谷川穂積・山中慎介スペシャル」
 
新型コロナウイルス感染拡大の影響で全世界でスポーツイベントが中止・延期され、WOWOWエキサイトマッチもラインナップの大幅な変更を余儀なくされている。
 
その中で放送された「井上尚弥・長谷川穂積・山中慎介スペシャル」。
日本が誇るバンタム級の名王者にスポットを当て、ゲストの長谷川穂積、山中慎介両元王者とともに彼らの代表的な試合を振り返る企画である。
 
 
そして、今回は「長谷川穂積」について
2005年4月にタイのウィラポン・ナコンルアンプロモーションに判定勝利してWBC世界バンタム級王座を獲得すると、同級王座を5試合連続KOを含む計10度防衛。2010年4月にWBO同級王者フェルナンド・モンティエルに敗れるまで約5年間に渡って王座に君臨する。
 
その後もいきなり2階級上のフェザー級王座を獲得するなど、2016年9月のウーゴ・ルイス戦で3階級制覇を達成して引退するまでの通算戦績は41戦36勝5敗16KO。
高速の連打とセンス抜群のカウンターを武器とする名王者である。
 
山中慎介はトマス・ロハス戦までが好き。岩佐亮佑戦はいまだに忘れられない。「神の左」を連呼され出してから「ん?」となった

僕は長谷川穂積のことが好きじゃない。と言うより、あまり興味がなかった。ウィラポン戦も観てないし

まず最初に申し上げておくと、僕は長谷川穂積のことが好きではない

 
戴冠を果たしたウィラポン戦も観ていないし、本人がベストバウトと言っていたウィラポンVol.2も今回の放送で初めて観たほど。
 
破竹の勢いで防衛を重ねていたときも「な〜んかポコポコ倒しとんなぁ」程度の認識しかなく、相手の名前を聞いてもまったくピンとこない。
 
多くの方に衝撃を与えた2010年4月のフェルナンド・モンティエル戦の感想も「おや、倒されちゃった」「残念だったね」くらい。後日観直してみると、ラウンドが進むごとにモンティエルの左が合ってきているのがわかって「どちらにしてもこういう結末だったかも」と思った次第である。
 
また、ラストマッチとなった2016年9月のウーゴ・ルイス戦も正直あまりいい試合とは思えず。ゴンゴン頭がぶつかってばかりの泥仕合というか、はっきり言っておもしろい試合ではなかった。
 
要は長谷川穂積が好きではないと言うより、単に興味がなかったと言う方が正解な気がする。
2000年代にあまりボクシングを観ていなかったせいもあるが、同じ時期に活躍していた亀田三兄弟に比べるとだいぶ印象は薄い。

 
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ついでに言うと、ウーゴ・ルイス戦後の特集番組で「45日前に左手親指を骨折した」「左が打てるようになったのは2週間前」等をやたらと強調し、「こんな状態でも勝った長谷川すげー」的な美談にしようとしているのを観て思いっきり冷めた記憶がある。
 
いやいやいやいや。
怪我を隠して勝つより怪我せずに勝つ方がよっぽどすげえから。
そんなしょーもない美談いらんから。
3階級制覇は文句なしの偉業なんだから、そんなところで無理やりヒーロー扱いせんでもいいでしょ。
 
ファンの方には非常に申し訳ないのだが、諸々の要因からどうしても長谷川穂積に興味が持てずにいた。

長谷川穂積に興味のない僕でも印象に残った試合その1:“気持ち”でもぎ取った勝利

だが、長谷川穂積興味ないマンの僕でも、印象に残っている試合が2つある。

 
1つ目は2010年11月に名古屋で行われたWBC世界フェザー級王座決定戦。同級1位ファン・カルロス・ブルゴスとの一戦である。
 
確かこの試合は1ヶ月前に長谷川の母親が亡くなったとのことで、番組内ではやたらと「最愛の母親のために」が連呼されていた記憶がある。WOWOWの特集内でも本人が「この試合だけは母親のためにリングに上がった」と言っていたし、恐らく並々ならぬ決意があったのだと思う。
 
そして、試合はまさにその通りの内容となる。
 
身長175cm、リーチ180cmと大柄なブルゴスに対し、明らかに一回り小さい長谷川。
序盤から得意の出入りと連打でブルゴスを翻弄するが、両者のフィジカル差は一目瞭然。抜群のタイミングで長谷川がパンチをヒットしてもブルゴスはケロっとして打ち返す。
 
中盤から終盤にかけてブルゴスのパンチを被弾してグラつきを見せるなど、KOを量産したバンタム級時代(あんまり観てないけど)とはまったく違う試合展開。僕を含め、多くの方がハラハラさせられたのではないか。
 
だが、どれだけ打ち返されても長谷川は怯まない。
相手の豪打に身体を揺らされ、自身のパンチは効かない。それでも1発もらえば2、3発返す。心折れることなく腕を振り続け、結局12Rを全力で駆け抜けてしまった。
 
「1発もらうとカッとなって打ち合いを始めてしまう」長谷川の性格とブルゴスとのスピード差がうまい具合に合致した結果だとは思うが、母親の件も含めて本当にドラマチックな試合だった。
 
適切な表現ではないのかもしれないが、まさしく“気持ち”でつかんだ勝利だったと思う。

 
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てか、長谷川ってこういうスピードのない長身タイプが得意よね。
ファン・カルロス・ブルゴスや2015年5月のオラシオ・ガルシア、ラストマッチのウーゴ・ルイスなど。
長身で比較的外旋回のスイングの相手を回転力で上回るシーンが多かった印象が強い。
 
逆にガードを上げてプレスをかけるタイプはめちゃくちゃ苦手。2014年4月のキコ・マルチネス戦などは、何度試合を観直しても絶望感が尋常じゃない。

長谷川穂積に興味のない僕でも印象に残った試合その2:“本物”“世界の壁”を見せつけられた一戦

もう1試合は2011年4月に神戸で行われたWBC世界フェザー級タイトルマッチ。ランキング1位のジョニー・ゴンサレスとの初防衛戦である。

 
結果は長谷川が4R58秒TKO負けを喫して王座から陥落するわけだが、この試合は僕が“世界の壁”を見せつけられた一戦でもあった(僕が試合をしたわけじゃないけど)。
 
ジョニゴンと言えば、もっとも印象的なのは2009年5月の西岡利晃戦。3Rに強烈な左ストレートでTKO負けを喫したものの、あの試合は2011年7月のラファエル・マルケス戦と並ぶ西岡のベストファイトだと思っている。
 
そのジョニゴンが日本に来ると聞いて、当時はかなりテンションが上がった記憶がある。

 
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試合当日。
控室から出るジョニゴンの姿がアップで映されるのだが、そのときのオーラと言ったら……。
 
腕は長く肩回りもゴツい。身体つきだけでなく、威風堂々とした佇まいや表情はマジで王者そのもの。
王者ではないけど、王者以上に王者。僕がこれまで観た中でもダントツに“本物”だった。
 
同じ長身選手でもファン・カルロス・ブルゴスやウーゴ・ルイスとはまったく別物。僕の貧弱な語彙力ではうまく言えないのだが、とにかく「違う」。一段上の“王者の風格”がジョニゴンにはあった。
 
 
そして画面は切り替わり、長谷川穂積の控室に……。
アップを繰り返す長谷川の姿を観て、率直に「頼りない」と思ったことを覚えている。
 
軽やかな足取りでひらひらと動き、トレーナーのミットにパンチを打ち込む長谷川。
一見すると調子はよさそうに思えるが、何とも薄っぺらく脆そうな身体つき。フェザー級が適正階級ではなかったことを差し引いても、重厚なオーラを放つジョニゴンとは雲泥の差があった。
 
冗談でも何でもなく、控え室での両者を観た瞬間に「長谷川負ける」と思ってしまった。
 
 
で、試合は案の定、長谷川の4RTKO負け。
軽快な出入りで序盤は有利に進めていたものの、ジョニゴンのロングフックのタイミングが徐々に合い始める。
パンチが長谷川の顔面をかすめるシーンが増え、4R開始直後にボディストレートから軌道を変えた右が顔面にドカン。長谷川が一気にロープ際まで吹っ飛ばされ、フラフラのままレフェリーストップを宣告されてしまう。
 
「やっばいなあ。ジョニゴンのパンチが合ってきてる。これはどこかで当たるヤツでしょ」と思いながら観ていたところ、マジでその通りになってしまったという。
 
序盤は手間取ることはあっても少しずつタイミングを覚え、中盤までにはしっかり射程内に捉えるのがトップレベルの実力者。
2010年4月のフェルナンド・モンティエル戦同様、このジョニゴン戦も“世界の壁”というヤツを見せつけられた試合である。
 
 
しかも、そのジョニゴンも約4年後の2015年3月にゲイリー・ラッセルJr.に枯れ枝のように敗れるまさかの事態に。
バンタム級上がりの長谷川穂積とナチュラルなフェザー級のラッセルでは単純比較はできないが、サイズ的には一回り小さいラッセルがジョニゴンを子ども扱いしたことはかなりの衝撃だった。
 

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いろいろな意味で、長谷川穂積は“世界”を見せてくれた選手だったなぁと。
 
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