停滞は衰退? 現状維持は後退? モンスタークレーマーへの対応策? 日大のタックル問題やアマボク問題で思ったこと

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ここ最近、世間を賑わせているアマチュアボクシングの問題。
連日ワイドショーやニュース番組でも取り上げられ、日本ボクシング連盟の山根明会長の名前を聞かない日はない。


また、先日起きた日大アメフト部の故意のレイトタックル問題について、ようやく理事長である田中英寿氏が謝罪声明を出したことも報じられた。


僕はこれらに関して報道されている情報しか知らず、個人的に何かを論ずるレベルまで到達していない。
 
単純に、こういう80年代の任侠映画に出てくるようなおっさんが当たり前のように生息している事実に改めて驚いたくらい。
 
まあ、僕が最近映画「竜二」を観たせいで、テンションがそっち側だったのもあったかもしれないがw
 

 
本当は陣内孝則の「ちょうちん」を観たかったのだが、DVD化されていないどころか現在はVHSの入手すら困難だとか。
 

 
いや、そんな話はどうでもいいのだが。
 
「井岡vsアローヨ予想。すごい試合になりそう。てか、がんがれ井岡一翔。とにかく勝つしかないぞ。めっちゃ期待してる」
 

「停滞は衰退」「現状維持は後退」はマジでその通り。歩みを止めたらアカンのです

一連の日大のタックル問題やアマボク問題に関する報道を観て思ったのが、「停滞は衰退」「現状維持は後退」は至言だなと。
 
特に組織においての長期間の停滞は致命的で、気づいたときには取り返しのつかないところまできている感じ。
 
やはり定期的な血の入れ替えは必須。
ある程度の任期で区切って、トップを代えていかないと徐々に組織はおかしくなる。
人間、どうしても楽な方向に行きたがるし、居心地がよければそれを維持するために躍起になるのは仕方ない。
 
「伊藤雅雪がディアスを下して王座戴冠。だから男は顔だとあれほど…w 日本人のレベルが低いとか絶対嘘だからな」
 
僕は以前、大学教授の学会誌・論文誌を作る仕事をしていたことがある。
 
その学会は、大学における縦横のつながりや出世競争のための駆け引きなどに嫌気がさした教授たちが、純粋に教育の未来や国際化について研究しようという志でスタートしたもの。
 
当時の社長がその志に賛同し、学会誌・論文誌の編集を格安で引き受けたという経緯がある。
 
ところがその学会も、発足から4、5年経つと妙なことが起きる。
「しょーもない権力闘争や駆け引きを省いて、純粋に教育の研究をしよう」と集まった人間の中から、しっかりと権威が生まれるのである。
 
「権威なんてくだらない」
「そんなことにとらわれず、自由で風通しのいい組織を作ろう」
という権威。
 
これ、当時は本当におもしろいと思った。
今よりもさらに世間知らずだったのもあるが、「立ち止まっちゃダメだな」という肌感覚は強烈だった記憶がある。
 
「パッキャオがマティセを寄せ付けずに9年ぶりKO勝利。僕たちの英雄は世界一強い大統領(予定)。最高にカッチョいいだろ?」
 

いつの間にかできる謎ルール。誰が見てもおかしいのに、それを指摘できる空気がない

そして、恐らくこういう停滞を繰り返しているうちに、おかしなハウスルールが出来上がっていくのだと思う。
 
高校野球の坊主頭だったり、携帯電話の2年縛りだったり。
「○○の常識、世間の非常識」というか、誰がどう見てもおかしいことが当たり前になり、それを誰も指摘できない状況というヤツ。
 
以前、
「後楽園ホールでのボクシング観戦は、観客席に反社会勢力のおっさんがド派手な姉ちゃんをはべらせているのが当たり前だった」
「そういう光景にノスタルジーを感じるし、それがボクシング観戦のよさでもある」
とおっしゃっている方がいたが、
 
いいわけねえだろアホかww
 
てか、そんなもんをありがたがる時点でいろいろズレてるし、それはノスタルジーではなく「アングラ」って言うんだよww
 
「ジョシュアがポベトキンを鬼KO!! 動ける巨人最強説は今日も健在ですね。ワイルダーorフューリー戦実現します?」
 
と、僕などは思うのだが、彼らの中には理屈を超えた何かがあるのだろうし、長い停滞で培われた信仰に近い価値観を変えるには凄まじいパワーがいるのだとも思う。
 
それこそ理想に燃えて立ち上がるより、「わかりました」と現状を受け入れる方が得だと思えるほどに。
 
炎天下の中、疲弊しながら腕を振り続ける高校球児に涙する文化()が日本野球の礎を作った(と思われている)ように。
 
「山中竜也、サルダールに判定負け。足がちっとも動いてねえなオイ。アレしかなかったんだろうな」
 
ちなみにだが、僕の高校時代の部活での謎ルールは、
「1年生は7月までハーフパンツを履いてはいけない」
 
どれだけ暑くても、1年生は1学期のうちはロングパンツのみ。
もしハーフパンツを履いてグランドに出ようものなら、2年生の先輩に「ん? 何でハーフパンツ履いてんの?」とキレられる。
 
いや、何でと言われても答えようがない。
「たまたま引き出しの一番上にあった」としか言いようがないのだが、上級生に口答えなどできるはずもなく。
 

日本プロボクシング協会の声明文はよかったよね。「何だその態度は」と怒るクレーマーもいたけど

あとはまあ、テンションが上がった人間がクレーマー化するパティーンも結構あるよなとも思わされた。
 
一連の報道を受けて、日本プロボクシング協会が下記の声明文を出したわけだが、


これに対して「『プロは関係ありません』『アマチュアのような腐敗はプロではありません』とはけしからん。何て失礼な態度だ」と憤っている方が散見された。
「プロもアマに負けず劣らず腐敗してるのに、それを棚に上げてふざけるな」と。
 
まあ、違うよね。
単純に今回の件へのクレームを「日本プロボクシング協会」に入れてくる人がたくさんいたってことでしょ。
 
取り上げられているのは「日本ボクシング連盟」であって「日本プロボクシング協会」ではない。こちらにクレームを入れられるのは困りますという声明文なのは明白過ぎるくらい明白である。
 
「ベストバウトきました。テイラーvsポストル興奮したわ〜ww ポストルに感動したかな。どっちもよかったけど」
 
というより、この件での渡辺均会長の動きは迅速だったと思う。
日大のアメフト問題の際は「日本ラグビーフットボール協会」へのクレーム電話が相次いだというし、実際世間の認知度なんてそんなもん。
 
テンションが上がって感情的になれば判断力も鈍るし、脊髄反射でクレームを入れる人も多い。
 

モンスタークレーマーって実在するんですよ。脊髄反射のクソ理論。SNSが発達した今ならなおさら

以前、僕はレディコミを制作する会社の広告部にいたことがあるのだが、下っ端だったこともあって同時にクレーム対応もやらされていた。
 
実はレディコミの業界的な地位(格)は低く、ファッション誌やスポーツ誌はもちろん、少年誌などにも見下される傾向が強い。
 
なので掲載される広告も出会い系や風俗、一目でアウトとわかる金融屋ばかり。
また、レディコミなので昼ドラのような愛憎劇も多く、際どい描写の作品も当然のように登場する。
 
「部落差別ねえ…。それより僕のブラック田舎あるあるを紹介。弱い世界じゃ強いだろうが強い世界じゃ下の下のゲットーww」
 
そして、これを観た読者が会社にクレーム電話を入れ、それを僕が受けるわけである。
 
「一般の人間の目に触れる雑誌にこんな怪しい広告を載せるなんて、どういう了見ですか」
「こんな下品な表現の作品、この雑誌にはふさわしくありません」
1日に1、2本、マジでこんな苦情電話がかかってくる。
 
で、コイツらの決め台詞が、
「あなたたちの本、あなたたちの会社を愛しているから言うんです」
「あなたたちのためを思って、厳しい言葉をかけているんです」
 
うるせえバーカww
 
などと言えるわけもなく、
「ありがとうございます。真摯に受け止めさせていただきます」
とお礼の言葉を述べるのだが、もう、いくら考えても意味がわからない。
 
「連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」「貧困に喘ぐ女性の現実」に対する自己責任論者が一向に消えない件」
 
自分たちの愛している(はずの)会社で働く人間を困らせるメンタル。
受話器を取る前に1秒考えればおかしいとわかるはずなのだが。
 
「ジャーメル・チャーロがトラウトに完勝。野性味満載の1発狙いで2度のダウンを奪うも倒しきれず。ハード戦はよ」
 
もうね。
こういう人間っているんです。
実際に。
一定の割合で。
 
しかも今はSNS全盛で、有名人とも直接交流ができる環境がある。
僕のイメージだが、脊髄反射で感情のまま突っ走る人間はどんどん増えている気がする。
 
以前にも申し上げたが、プロボクサーがTwitterで自分の意見を言うのは本当に一長一短あると思う。
 
「岩佐亮佑、ドヘニーとのV2戦。なかなか厳しそうだけどがんがれ。前回のサウロン戦はノーカンでいいから」
 
確かにメリットはあるかもしれないが、デメリットもめちゃくちゃデカい。
当たり障りのない情報を垂れ流すだけならInstagramで写真を載せる方がはるかにいいし、マジで考えものだよね。
 
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