2020年3月11日。東日本大震災から9年。“日本が壊れる恐怖”を知って以降、簡単に「日本は終わり」などとは言えなくなった

2020年3月11日。東日本大震災から9年。“日本が壊れる恐怖”を知って以降、簡単に「日本は終わり」などとは言えなくなった

新宿イメージ
それは予想もしない出来事だった。
 
よく晴れた昼下がり。
いつも通りパソコンに向かって仕事をしていると、足元にわずかな振動を感じる。
 
ただ、これはよくあること。
目の前には交通量の多い道が通っているし、そもそも小さな地震などは日常茶飯事。
大して気にも留めずに作業を続けていた。
 
だが、その数秒後。
 
ガガンッ!!
 
突然起こった大きな横揺れ。
 
思わず手を止め、とっさに机の脚を握りしめる。
もう一方の手でパソコン画面を押さえ、じっと様子をうかがう。
 
(すぐに収まるだろう)。
 
いきなりで驚いたが、まあ大丈夫。このくらいの地震はこれまでにも何度か経験がある。
ちょっと揺れは大きいが、このまま少し待てば収まるはず。
 
ところが。
 
ガガガンッ!!!
 
第一波をはるかに上回る激しい揺れが僕を襲う。
 
一度目は手元にあるものを掴んで耐えたが、今度はそうはいかない。まともに座っていられないほどの衝撃に大きくバランスを崩し、慌てて両足で踏ん張る。
 
いまだかつて、ここまでの揺れは感じたことがない。
あっという間に足がすくみ、その場から動くことができなくなる。
 
散乱する書類、床に散らばる筆記用具。
飛び出した引き出しを反射的に抑え、倒れそうになるロッカーを足で支える。
手を離した途端にパソコン画面は倒れ、ケーブル類がむき出しに。
 
 
と、その時。
 
ドンッ!!
 
背中に強い衝撃を感じる。
 
パッと振り向くと、視線の先には一目散に飛び出していく上司の後ろ姿が。
 
「命を懸けて売り上げを上げる」
「身を粉にして働く覚悟」
「俺のことを親父だと思ってくれていい」
頭をよぎる名言の数々。
瞬間的に怒りが沸点を超えそうになるが、今はそんな場合ではない。
 
届く範囲に手を伸ばし、身体を硬直させたままじっと耐え続ける。
 
 
そこから数十秒。
 
ようやく揺れが収まったことを確認し、おもむろに立ち上がる。
足元はフワフワしているが歩けないほどじゃない。
 
ふらつきながら階段を降りて外に出てみると……。
 
目の前に広がっていたのは、僕のまったく知らない世界だった。
 
今絶対観ちゃダメなアニメ「東京マグニチュード8.0」感想。何コレ最悪。ヒーローが現れて助けてくれるヤツちゃうんか
 

2011年3月11日。当たり前だったはずの世界があっという間に豹変した

2万2000人以上の犠牲者、行方不明者を出した2011年3月11日の東日本大震災から9年が過ぎた。
 
だが、今でも福島県の住民を中心に4万8000人近くが避難生活を強いられており、「復興した」という実感は乏しい。


また福島第一原発の廃炉作業も進められているが、汚染水の処分や溶け落ちた核燃料の取り出し等、課題は山積み。40年かかるとされる廃炉作業のおよそ4分の1の期間が過ぎたが、今後はより難しい段階に入っていくとのこと。
 
 
2020年3月11日。
今年もこの日がやってきた。
 
「忘れてはならない」
「風化させてはいけない」
多くの方が異口同音におっしゃるが、まさにその通りだと思う。
 
ただ、本音を申し上げると、あの時に感じた恐怖は二度と思い出したくない。
 
 
揺れが収まり、外に出た瞬間に目に飛び込んできた混乱と喧騒。
 
毎日見ている高層ビルがしなるように揺れ、車はまともに動かない。
そこらじゅうの建物から人々が流れ出し、高揚感と恐怖がない交ぜになった空気が充満する。
 
テレビをつけると、そこに映っていたのは津波が街を飲み込む光景。
走行中の車がそのまま波に飲まれていく衝撃映像に言葉を失い、ことの重大さを知る。
 
 
電車、バスは止まり再開のめどは立たず。
駅やバス停には長蛇の列ができ、駅員に詰め寄る人の怒号が響く。
 
携帯の充電は切れ、実家への電話もつながらない。
コンビニからは携帯の充電器を始めとする日用品があっという間に消え、凄まじい勢いで自転車が売れたという。
 
 
アイドルのコンサート会場のような人の列は夜になっても途切れる気配がなく、窓からの景色はこれまで見たことがないほど異様なもの。
家族や友人の安否もわからず、自分の無事を伝える方法もない。
 
同僚と居酒屋で一夜を明かし、ギュウギュウの電車に揺られること一時間半。
やっとのことで家に着いたときには身も心もボロボロである。
 
 
服を脱ぎ、風呂に入ろうと蛇口を捻るが、なぜかお湯が出ない。
 
3月とはいえ、午前中はまだまだ気温は低い。
吐き出される冷水を前にしばし呆然とする。
 
鉛のような身体に鞭を打って復旧方法を調べ、ようやく落ち着いたときにはすでに昼近くになっていた。
 
 
当時、新宿で働いていた僕は「都市の機能が停止する」恐怖を身をもって体験した次第である。
 
「広島原爆の日、長崎原爆の日、終戦記念日。いろいろ考えることも多かった。過剰に日本を卑下する必要もないよね」
 

本音を言うと思い出したくない。自分の居場所が崩壊する恐怖、日本が壊れる恐怖

正直、今でも避難生活を強いられている方に比べれば、僕の受けた被害はそこまで大きなものではない。
「忘れてはならない」ことは重々わかっているが、さすがに当時何が起きたかを事細かに思い出すのは難しい。
 
だが、あの瞬間の足元から崩れ落ちるような恐怖、翌日からスタートした崩壊後の恐怖、そこから数か月にわたって続いた先の見えない恐怖は今でも忘れることができない。
それぞれ種類は異なるが、自分の住む世界が崩壊していく恐怖を感じたのは後にも先にもあの時だけである。
 
と同時に、極限状態に置かれた人間の心が簡単に荒むことも実感させられた。
「俺を親父だと思っていい」とほざいていた上司が僕を突き飛ばして一目散に逃げたり、電車の復旧のめどが立たない怒りを駅員にぶつける人がいたり。
 
僕自身もあの時は著しく冷静さを欠いていたし、些細なきっかけで爆発してもまったく不思議ではなかったと思っている。
 
 
24時間営業、2交代制、週休1日という超絶ブラック会社勤務により、人間の本性がむき出しになる様子は山ほど見てきた。だが、あそこまでの瞬間最大風速はさすがに経験がない。
 
避難生活によるストレスで亡くなった方が多いことを考えれば、人間の心が簡単に壊れることは明白過ぎるくらい明白である。
 
 
繰り返しになるが、東日本大震災での惨劇を「忘れてはならない」「風化させてはいけない」ことは重々承知している。
 
それを踏まえた上で、“自分の住む世界が崩壊していく”恐怖はできれば二度と思い出したくない。人間が「忘れる生き物」であり、この先あの恐怖が少しでも薄れることを心底願っている。
 

気軽に「日本は終わり」などと言えなくなったし、言うべきではない。そこに住む一員であることを意識して今後も過ごしていく

そして、僕があの震災で強く感じ、今も意識しているのが軽々しく「日本は終わり」と言わないこと
 
よくネットニュースへのコメントやSNS等で「この国は終わり」「日本は崩壊する」という言葉を見かけるが、個人的に心底しょーもないと思っている。
 
 
一応申し上げておくと、震災以前の僕は完全にそっち側の人間だった。
長引く不景気によって政権与党に対する不満は高まり、続けざまに表沙汰になる不祥事にうんざりさせられる。数か月ごとに総理大臣が交代する異常事態に、世の中は言いようのない閉塞感に包まれていた。
 
それを受けて、僕もドヤ顔で「終わりでしょこの国」と何度口にしたかわからない。いわゆる「世の中を俯瞰で見てる賢い俺」的な痛いヤツである。
 
だが、2011年3月11日の震災で“本当に日本が終わる”恐怖を味わって以降、その言葉を軽い気持ちで口にするべきではないと思うようになった。
 
今までの生活が壊れる恐怖。
都市機能がストップする恐怖。
家族とのつながりを断たれる恐怖。
それにより、人間の心が簡単に壊れていく恐怖。
 
当たり前に存在していた日常が足元から崩れ、復旧のめども立たない。
本当に日本が終わる恐怖を味わったあとでは、とてもじゃないが「この国は終わり」などと簡単に口にする気にはなれない。
 
「投票率が上がらない理由? 日本人はバカだとか、都民も府民も終わってるとか罵声浴びせられるから嫌気がさす」
 
はっきり言って、今の日本に対する不満は多い。
日常生活に関してもそうだし、政治や経済にも言いたいことは山ほどある。
 
ただ、それでも「日本は終わり」などと軽い気持ちで言うのは違うと思っている。
「一度全部壊して作り直した方がいい」という言葉はよく耳にするが、実際に全部壊れていいはずがない。
 
何度も言うが、自分の生活圏が足元から壊れる恐怖は思い出したくないし、アレを味わうのは二度とごめんである。
 
なので、簡単に「日本は終わり」などとのたまうのではなく、自分もそこに住む一員であることを意識しつつ今後も過ごしていければと思う。
 
僕にとっての3月11日とはそんな日である。

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