重大な事故が起きた試合が年間最高試合に選出されたのはマズくないか? 誰が何を言おうが公式だけはブレちゃダメ。青木真也の言う対外的な体裁は大事よ?
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青木真也のX(旧Twitter)の投稿でだいぶザワついているわけだが。
年間最高試合が死亡事故なのはその競技を疑わざるをえないと思うんですよね。
— 青木真也 Shinya Aoki (@a_ok_i) February 2, 2024
昨年12月の日本バンタム級タイトルマッチに出場した穴口一輝選手が試合後に救急搬送され、2024年2月2日に訃報が伝えられた。
「元日本ランカー穴口一輝さん死去、23歳 12月26日の試合後、右硬膜下血腫で救急搬送 開頭手術」
その試合が2023年の年間最高試合(世界戦を除く)に選出されたことを受けての投稿である。
事故が起きた試合を年間最高試合に選出するのはかなり危うい。青木真也と近い考えかな
上記の投稿について。
重大な事故が起きた(結果的に選手が亡くなった)試合を年間最高試合とすることに疑問を感じたものだが、この意見にはかなりの賛否がある模様(誤読している人は放っておく)。
僕は青木真也に近い考えで、報道を聞いた際は強烈な違和感を覚えた。
一方で「試合内容と事故の対策は分けて考えるべき」「試合が素晴らしかったのは間違いない。だから選出に文句はない」旨の意見を否定する気もない。
だが、国内の試合を管轄・管理する日本ボクシングコミッション(JBC)が「年間最高試合」だったと公言するのはワケが違うと思っている。
重大な事故が起きた試合を「この1年でもっともいい試合だった」と“業界を挙げて”“対外的に”宣言した。
これは相当危うい。
“外部からどう見えているか”はクソほど重要。内容と事故は分けて考えろは通用しないよ
青木真也が言うには格闘技(ボクシングを含む)が社会に認められている現状がすでに奇跡に近いとのこと。
相手をぶっ壊すことが目的の時点で格闘技はめちゃくちゃ異常。それを商売とする、認めてもらうには“スポーツとしての体裁”が必須であると。
(他人をぶっ壊すことが主目的の)格闘技が社会と共存していくには“対外的にどう見えるか”がクソほど重要になる。
ところが競技の中にいると「命がけで勝ちたい」「勝つためにはどうなってもいい」と思ってしまうことが多々ある。特に最近はその傾向が強いように感じる。
これまたその通りだと思っていて、今回の件は“外部からどう見えているか”“社会とどう共存していくか”の意識が絶対的に足りていない。あまりに内向きの思考というか。
たとえそのつもりがなくても「事故が起きるのもボクシングの一部」だとJBCが正式に認めたと思われても文句は言えない。
内容と事故は分けて考えろなどというご都合主義は通用しない。
傍から見れば「人の生死に関わる重大事故が起きた試合が1年で最高の試合だった」とボクシング界が大々的に宣言したと取られても仕方ない。
ボクシングは相手をぶっ壊すことが主な目的で、結果事故が起きてもOKです。
そんな競技が社会に受け入れられるの? という話。
それこそ個人のお気持ち表明とは重みが違う。
青木真也が言う通り生死に関わる事故が起きた試合を年間最高試合とするのはマズいんじゃねえか?
ファンがいい試合だったって言うのはともかく公式がそれをやるのはアカン気がするぞ。
要は「みんなもあそこを目指してがんばりましょう」って公に言ってるわけだからな。個人の感想とは重みが違うよ。
— 俺に出版とかマジ無理じゃね? (@Info_Frentopia) February 4, 2024
格闘技に対しては結構冷めた見方だけど、世間一般とズレていることも自覚している
正直なことを言うと、僕は格闘技に対しては割と冷めた見方をしている。
格闘技は基本、過激で血生臭くてウジウジしたもの。
どれだけスポーツライクにしようがポップさをアピールしようがアングラな側面は絶対にある。
両者がギリギリのところで打ち合う試合には「うおー!!」となるし、豪快なKOには文句なしに熱狂してしまう。言いたかないけど(?)選手が感情を爆発させる姿に心を動かされたりもする。
2023年9月のRIZIN44、金原正徳vsクレベル・コイケ戦では、SNS全盛時代に実力だけでのし上がった金原の“背中で魅せる”姿にめちゃくちゃ感動した。
膨大な経験値に裏打ちされた自信というか。
金原正徳が全局面でクレベル・コイケを圧倒。アカン、感動が止まらん。でも石渡パイセンと川口春奈の彼氏の予想を聞いて「勝つかも」とオモタ笑
体重超過や禁止薬物に関しては頻発し過ぎてもはや「そういうもん」だとしか思わない。
ドーピングは冷めるよね。「試合前に自分と向き合う」過程がスポーツの醍醐味だと思うけど、そこをすっ飛ばす行為は…。木村ミノルの謎ムーブ
いちいちカリカリしていたらそれだけで人生が終わってしまう。
また「格闘家は命をかけている」という言葉が大嫌い。
自分でそれを言ってしまう現役選手には心底虫唾が走る。
格闘家は命をかけてるとかいう陶酔フレーズが嫌いすぎる件。
そんなに危ねえなら辞めたらええやん。ある選手が「自分は大事なものがあるから命まではかけられない」「それをしないためにしっかり準備するし、引き際を間違えないように注意してる」って言っててめちゃくちゃ刺さった覚えがある。
— 俺に出版とかマジ無理じゃね? (@Info_Frentopia) November 25, 2022
自ら選んだ職業で何を抜かしてやがんだ。
そんなに危ないならさっさと辞めりゃええやんけ。
勝手に陶酔して「俺スゲー」をアピってんじゃねえよ。
ただ、これらはいわゆる世間一般とはズレていることも自覚している。
自分の考えを誰かに押し付ける気はまったくない。
重大な事故が起きた直後に「『格闘家は命をかけている』という言葉が嫌い」「ドーピングもありきで観ている」などと表明することがふさわしくない程度の認識もある(しちゃったけど)。
取り巻きが何を喚こうが公式だけはブレちゃダメ。「青少年の健全な育成」を唱えるならなおさら
だが上記はあくまで安全圏から眺めている第三者の考え。
試合を管轄・管理するJBCが世間の認識と乖離した考えを公式に宣言したことに驚いたと申し上げている。
部外者の僕ですら「今言うのはよくない」と自重した(言ったけど)のに。
繰り返しになるが、青木真也の言うように世間的には異常な格闘技(他人をぶっ壊すことが目的)が認められるには外面が重要。
対外的にどう見えるかを考えれば事故が起きた試合を年間最高試合に選出するなどあり得ない。
事業計画書に毎年「ボクシングを通して青少年の健全な育成に資するために協力していく」の一文を盛り込んでいるならなおさらである。
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(令和4年度事業計画から引用)
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取り巻きが何を喚こうが公式だけはブレちゃダメ。
たとえそう思っていなくてもフリだけはしとけ。
という安全圏から眺めている第三者の考えでございます。
もう一度言いますが、意見の違う人を否定する気はまったくないです。
穴口一輝選手のご冥福をお祈りします。
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