映画「BASURA バスーラ」←タガログ語で「ゴミ」。映画自体が「ゴミ」ってこと? ONE PIECEのモデルにもなったフィリピンのスモーキーマウンテンの実情らしいけど 【感想】

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フィリピンリゾートビーチ
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映画「BASURA バスーラ」って知ってますか?

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「BASURA バスーラ」(2009)

5歳未満の死亡率30%以上。

フィリピンのマニラ近郊に暮らす住人の9割が仕事が見つからず、そのほとんどが近隣のゴミ捨て場で拾ったゴミを転売して生計を立てている。

「スモーキーマウンテン」と呼ばれる巨大なゴミ捨て場は強烈な悪臭が漂い、自然発火したゴミの山から常に煙が立ち昇る。同時に、そこは過去40年にわたって多くの貧困層の生活を支えてきた場所でもあった。

1995年、フィリピン政府が突如スモーキーマウンテンを閉鎖し、用意した仮設住宅に住民を住まわせる。

だが、仮設住宅に移り住んだ住民で仕事を見つけることができたのはわずか1割。多くの住民は近くにできた新しいゴミ捨て場で相変わらずゴミを拾う生活を続けていた。

「ぼくは、ここで生きている」

フィリピンの貧困層の現状を伝えるべく、活動を続ける四ノ宮浩監督によるドキュメンタリー映画。『忘れられた子供たち スカベンジャー』『神の子たち』に続く3部作の完結編である。

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フィリピンの現状を伝えるドキュメンタリー3部作の完結編「BASURA バスーラ」

「BASURA バスーラ」
意味はタガログ語で「ゴミ」。2009年に公開されたドキュメンタリー映画である。

恵比寿ガーデンプレイスにある「東京写真美術館」で2009年に上映され、その後四ノ宮浩監督自らが全国の学校を回るなど、各地で上映された。

かつてフィリピンにあった「スモーキーマウンテン」と呼ばれる巨大なゴミ捨て場で、拾ったゴミを転売して生計を立てる人たちの姿を追ったドキュメンタリー映画。その1作目が『忘れられた子供たち スカベンジャー』である。

2作目の『神の子たち』は“第二のスモーキーマウンテン”と呼ばれたパヤタスゴミ捨て場での人々の生き様を追ったドキュメント。

そして、2009年に公開された3作目の『BASURA バスーラ』は、1作目の『忘れられた子供たち スカベンジャー』で四ノ宮浩監督が出会った家族や子どもたちの20年後を追ったドキュメンタリーである。

商店街で寝転ぶホームレス、ゴミを漁る子どもたち。
フィリピンの状況は20年前と何ら変わっていない。
タクシーの運転手が言うには「この国をよくするには20歳以上の人間がすべていなくなった方がいい」とのこと。

そこら中に人骨が転がり、結核やコレラが蔓延する劣悪な環境。その中で暮らす人々の現状を多くの人々に伝えたい。四ノ宮浩監督の強い思いは日本の若者の心を動かすことができるのか。

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映画の感想は「クッソ微妙」。テーマはすばらしいのに映画としておもしろくない

この映画『BASURA バスーラ』が公開されたのが2009年。

当時、フィリピンのスモーキーマウンテンという存在は知っていたが、前作である『忘れられた子供たち スカベンジャー』『神の子たち』という映画はまったく聞いたことがなかった。
 
たまたま映画紹介のサイトで『BASURA バスーラ』の上映情報を知り、「こりゃ観に行かんとアカン」と思い、公開1週間後(だったかな?)に大急ぎで恵比寿ガーデンプレイスに向かった次第である。

そして、映画を観終わった感想は、
「クッソ微妙」

言いたいことはわかる。
フィリピンの凄惨な状況も伝わった。
それを一人でも多くの人に伝えたいという熱い思いも「なるほど」と思う。
もっと言うと、これだけの映画を撮れるということは、それだけ現地の人たちの信頼を得る努力をしたのだろうということも想像に難くない。
 
ただ、この映画にはたった一つだけ致命的な欠陥が存在する。
映画としておもしろくない。
もう、まったくおもしろくない。

申し上げたように、この映画は1995年の『忘れられた子供たち スカベンジャー』の撮影中に出会った人々のその後を訪ねるドキュメントである。

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当時出会った子どもがすでに亡くなっていたり、貧困や病気の蔓延など、20年経った今もフィリピンの状況は何ら変わっていない。ただ、その中でも何とか仕事を見つけてたくましく生き続ける家族もいて、少しだけ救われた気分にもさせてくれる。
だが明日をも知れぬ生活であることに変わりはなく、フィリピンの現状は今もなお厳しい。

そんな感じの構成になっているのだが、まあとにかくつまらない。時間は103分とそこまで長くはないはずなのだが、鑑賞中の苦痛が尋常じゃない。
 
僕は映像技術や演出についてはまったくの素人なので、具体的にどこがダメだとは言えない。題材がこれだけいいのに、なぜこんなにクソつまらないのか。それを説明する言葉を持っていない。
 
「感想「ウトヤ島、7月22日」とかいう実写版コール・オブ・デューティ。72分間ワンカットって自己満にしか思えないんだよな」
 
もしかしたら映像に迫力がなさ過ぎるのかもしれないとも思う。

「白骨が転がっている」
「悪臭が立ちこめている」
「病気が蔓延している」
「そこを子どもが裸足で歩いている」

そういったナレーションは多いのだが、肝心の映像が少ないのである。
人骨だったり、病で苦しむ人々の姿だったり、そういう悲惨で生々しい映像があればもっと違った印象になっていたのかも。
 
「フィリピンの現状やそこで暮らす人々の姿を淡々と見せる」ことを意識して作った映画とのことだが、それならもう少しどギツい映像があってもよかったのではないだろうか。

「強烈な映像に愕然とさせられる」という感想が多いようだが、僕に言わせればまったく物足りない。フィリピンの現状云々以前にエンターテイメントとして微妙過ぎるのだ。

もしかしたら前作の『忘れられた子供たち スカベンジャー』『神の子たち』では、そういう映像が観られるのかもしれないが。
まあ、観る気もないのだが。

制作側の深層心理に感じられる選民意識。いや、僕がひねくれてるだけなんですけどね

そして、僕がこの映画を好きになれない一番大きな理由が「制作側の姿勢」である。 
これを書くのは本当に勇気がいるのだが、この映画を観ていると、

「俺たち、すげえがんばってる」
「めっちゃいいことしてる」
「それに引き換え、気楽に暮らしてるお前らは何なの?」

という制作側の思いがそこはかとなく感じられる。

選民意識というか、「何も知らずにのうのうと生きてるお前らに教えてやるよ」という態度が透けて見えるような気がするのである。
 
「「ポケットいっぱいの涙」感想。誰もが思わず涙したらしいが、そうか? まあ量産型ブラックカルチャー映画だわな」
 
いや、我ながら本当にひねくれた人間だと思う。
もちろん本人たちはそんなつもりは毛頭ないと言うに決まっている。
 
だが、僕にはそう感じられてしまったのだからしょうがない。
もしかしたら『忘れられた子供たち スカベンジャー』の頃には純粋な思いで撮影していたのかもしれない。それが20年以上にわたるライフワークとなったことで、深層心理に選民意識が芽生えてしまった。そんな風に思えてならないのである。

「は? 何様? 別にお前の20年が誰かと比べて優れてるなんてことはねえんだぞ?」
我ながらめんどくさいヤツなのだが、観ているうちにだんだんイラついてくるのである。

さらに上映後に、四ノ宮浩監督(本人だったか別の人だったかは忘れた)がフィリピンの現状を語るというミーティング的なものが開催されていた。

そこでは四ノ宮浩監督と映画を観た人が意見交換を行うのだが、これが僕にはマジで意味不明で不快だった。 
いやいやいやいや。
それは映画の中で語れよ。

何で上映直後に補足説明入れちゃうんだよ。
それじゃ「自分の映画がクソでした」って言ってるようなものじゃないのか?

まあ、実際クソだったけど。

「フィリピンの現状についてどう思ったかを考えよう」じゃなく、映画の中でしっかり問題提起しろよ。「自分に何かできることはないか」という熱い思いが自然発生的に沸き上がるような魅力のある作品を作れよ。

1800円も取ってあんなクソつまらん映画を垂れ流しておいて、その上でミーティングだ?
そんなくだらんもんに参加するわけがない。当然シカトして帰りますよね。年齢制限があったかどうかも忘れたけど。
わざわざはりきって恵比寿ガーデンプレイスまで行って損したわ。

ん?
「BASURA」の意味はタガログ語で「ゴミ」?
ああ、そういうことね。

公開から7年後に言わせていただきます。『BASURA バスーラ』はつまらない






ところで、今から7年も前の映画についてなぜ今さらこき下ろすのか。
それはズバリ、びびっていたからである。

この『BASURA バスーラ』はもちろん、『忘れられた子供たち スカベンジャー』『神の子たち』3作品とも評判がすこぶるいい
Amazonでの感想や映画のレビューサイトを見ても、軒並み高評価で僕のつけ入る隙がないのである。

またテーマがテーマなので、悪く言いにくいというのもある。
こういう重いテーマを扱った映像作品を悪く言うと怒られるのではないか。「世間知らずの青二才が偉そうなことを言ってんじゃねえ」という怒りを買うのではないか。プリン並みにぷよぷよのメンタルしか持っていない僕には、その怒りに耐えられる自信がなかったのである。

ただ、当時のイライラは今でも僕の中で燻っており、いつか吐き出してやろうと思っていたことも事実である。そして、だいぶ時間も経ったのでそろそろいいのではないかと思い、解禁してみた。そんな感じである。

「東京写真美術館」には批判を許さない空気が充満している。重いメッセージを受け取り自虐するまでがデフォ

そもそもだが、「東京写真美術館」で上映される作品にはこの類のものが本当に多い。社会問題や貧困、障害者など。下手にこき下ろすとややこしいことになるというか、作品自体を悪く言ってはいけない空気が館内に充満しているのである。

なお、2016年9月現在は「列聖記念マザー・テレサ映画祭」(2016年9月10〜30日)というものが開催されており、これまたややこしそうなテーマである。

重たいテーマの映画を眉間にしわを寄せて鑑賞し、観終わった後に「考えさせられた」「不満ばかり言っている贅沢な自分を反省した」というお決まりのセリフを吐く。

別にどんなテーマの映画だろうが、どれだけメッセージ性の強い映像作品だろうが、わざわざ自戒、自虐する必要などない。
これからも普通に暮らしていけばいいし、貧しい人たちのために何かできることがあると思うのならやればいい。別に映画を観たからといって、いちいち生活を変える必要はまったくない。

そして、この『BASURA バスーラ』には「何か自分にできることをやろう」と思わせるだけの魅力が足りない。その割にはやたらと「どう? どう? すごいでしょ」と押しつけてくる(気がする)。だからクソ映画だと言っているのである。

ゴミを拾って生活している人たちのすぐ近くでエステ三昧、グルメ三昧の観光をしていた自分が恥ずかしい?
いや、まったくそんなことはないでしょ。
それはそれでフィリピンの観光産業に好影響を与えるんだから、恥じることなんて一つもないでしょ。

というより、日本に生まれて日本で生活しているだけなのに、そのことに罪悪感を感じる必要などどこにもない。堂々と暮らしていればいいのである。

ちなみにこれが四ノ宮浩監督の直近の作品『わすれない ふくしま』である。

まあ、当然次はそっちに行くよなという感じだろうか。
興味があればぜひ。僕は観ないけど。

やっぱり映画は気楽に観るに限るな。
 
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