京都アニメーション火災が平成以降最悪のテロだった件。単独犯、民間、計画的放火……。ここまで身勝手極まりない生き物を“人”として扱えと?
2019年7月18日、痛ましい事件が発生した。
京アニ火災 放火の死者33人に 3階以上で20人死亡https://t.co/wgQGbxrSCI
→京都市消防局は男性12人、女性20人、性別不明1人の計33人の死亡が確認されたと明らかにした
→1~2階で発見された13人の死因は焼死とみられる
→3階以上でも20人の死亡が確認された— 産経ニュース (@Sankei_news) July 18, 2019
「京都アニメーション」のスタジオが放火された事件で、現場からおよそ500メートル離れた公園では、19日午前、ガソリンの携行缶が入っていたとみられる段ボール箱2つが見つかりました。https://t.co/b3AUdtd2r5#nhk_news #nhk_video pic.twitter.com/SNLshVp4Bm
— NHKニュース (@nhk_news) July 19, 2019
警視庁によると、放火事件の犠牲者数としては平成以降最悪とのこと。
この事件が今後どう推移するかはわからないが、亡くなられた方のご冥福と負傷された方の1日でも早い心身の回復をお祈りいたします。
「広島原爆の日、長崎原爆の日、終戦記念日。「表現の不自由展・その後」や参院選のおかげでいろいろ考えることも多かった」
平成以降最悪の犠牲者数…。アカン、昨日から何もする気が起きないほど沈んでる
僕は昨日から何もする気が起きないほど沈んでいる。
あまりの出来事に言葉を失うというか、もはや事件の詳細を振り返る気にもならないほど。
恐らく犯人側にも言い分はあるだろうし、殺人衝動を抑えきれないほどの怒りがあったのだと想像する。
ただ、だからといってそれが普通に生活している人を傷つけていい理由になるわけがない。
報道によると「小説をパクられた」ことが犯行理由らしいが、それがどうした。
5兆歩譲って京都アニメーションが何かを「パクった」事実があったとして、そこから「殺してやろう」という考えに到達するはずがない。僕には犯人の思考回路がまったくもって理解不能である。
しかも犯人はガソリンスタンドで20リットルの携行缶2つ分のガソリンを購入し、それを台車で運んだとのこと。また、現場に残された手提げかばんとリュックサックには包丁やハンマーが入っていたという。
これらを見る限り犯行は計画的で、犯人に責任能力があったことも明らか。
マジな話、こんなヤツが当たり前のようにシャバにいた事実が僕には信じられない。
犯人は前科持ちで更生施設に入っていた、過去に近所とのトラブルを起こしていた等の情報? も見かけたが、だから何? という話。
「投票率が上がらない理由? 日本人はバカだとか、都民も府民も終わってるとか上から目線で罵声浴びせられるから嫌気がさす」
今回のテロ行為は完全に意味がわからない。例え自分が同じ状況に至ったとしても、同じことにはならないと断言できる
アイドルグループ内での暴行被害報道や、生徒の挑発に乗って手を出してしまった教員の事件など。ここ最近、ドン引きするような出来事が起きているが、今回のテロ行為はそれらをはるかに超越するほどの悪質さであると断言できる。
何と言うか、前者は地続きで後者は別世界のイメージ。
・アイドルへの暴行
・大人への挑発
・我慢できずに手を出す教員
これらの行為は理解できるとは言わないが、自分が絶対にこうならないとも言い難い。
仮に長期間にわたって挑発行為を受けるような状況に追い込まれたとしたら、果たして自分は理性を保つことができるのか。正直なところ、自信を持って「Yes」とは言い切れない気もする。
「手を出したら負け? わからないヤツは殴ってもいい? 学校での体罰は是か非か←いや、ダメに決まってるけどなw」
それに対し、後者のテロ行為については「絶対にない」と断言できる。
どれだけ対象に激しい怒りを覚えようが、そこから「殺人行為」に到達することはない。今後もあり得ない。
おっかないし、捕まりたくないし。
つまり、僕の中で殺人を犯すかどうかはとんでもなく大きい。
前者は自分と同じ世界の出来事として処理できるが、後者は不可能。別世界で起きた理解不能な現象というヤツ。
殺人を犯すかどうかの違いはめちゃくちゃデカい。松本人志の「不良品」発言が物議を醸したけど
以前、2019年5月28日に起きた川崎殺傷事件を受けて、ダウンタウンの松本人志が「人間が生まれてくる中で、どうしても不良品って何万個に1個生まれる」と発言したことが物議を醸した。
「不良品」という言葉は「ナチスの優生思想」の再来を招く危険性があるなど、この件をカットしなかったフジテレビに対しても多くの批判が浴びせられている。
生まれつきの不良品がいる、という言葉はどのような文脈でも、公的に放送していい内容ではないと思います。
社会環境が問われずに、個人や家族、遺伝的要素の問題に終始してしまえば、不良品は早めに排除すべき、という優生思想の再来を招くでしょう。 https://t.co/AP2pomyr9p— 藤田孝典 (@fujitatakanori) June 8, 2019
僕自身、人間に生まれながらの不良品が存在するのか、それとも育った環境が原因なのかはわからない。
恐らくこれは双方が互換し合って構築されるもので、どちらか一方、0か1かの極論ではない。以前にも申し上げたように、環境の影響は間違いなく大きいが、殺人という最後の一線を越えるor越えないは本人の資質によるものだと思っている。
「人間には生まれながらの“不良品”が存在するのか。川崎殺傷事件に対する松本人志の発言・炎上を受けて考えてみる」
繰り返しになるが、殺人を犯すかどうかの違いは本当に凄まじい。
なので、松本人志の「不良品」発言は半分賛成で半分反対といったところ。言葉のチョイスは間違ったかもしれないが、言いたいことは概ね理解できる。
さすがにここまでフォローする気もありませんが。
松本人志が「不良品」発言で伝えたかったことは何なのか#松本人志 #ダウンタウン #太田光 #爆笑問題 #オトナンサーhttps://t.co/PRfEVPQIdc
— オトナンサー編集部 (@otonanswer) June 8, 2019
こういうテロ行為の犯人に人権って必要なのか? 「人間をモノ扱いするな」とは言うけど、そもそも…
また、これを言うのはかなり勇気がいるのだが、僕は川崎殺傷事件や京都アニメーション放火テロの犯人に対して人権を論じる必要性を感じていない。
例の「不良品」発言には「人間に良品も不良品もない」「人間をモノ扱いする精神こそが殺人行為の根底にある」といった意見、批判が寄せられていたが、
川崎殺傷事件「不良品」発言こそ松本人志の本質だ! 過去にも同じ発言、社会や弱者への決定的な想像力の欠如 https://t.co/zzRxEjuItk
— litera (@litera_web) June 4, 2019
私たちは人間。「良品」も「不良品」もない。「フツウ」も「一般的」も、個人の偏見。
言うなら、「多くの場合」。そして、多いからといって、「正しい」とも「正義」とも限らない。これまで間違って判断してきたこともある。— 東ちづる Chizuru.Azuma (@ChizuruA1) June 2, 2019
人を「欠陥品」と呼んでモノ扱いするような共感性の欠如こそが人を簡単に殺す行為の根底にあるんですけど、その自覚がないようです。
— 町山智浩 (@TomoMachi) June 2, 2019
そもそもコイツらって“人”なのか?
・計画的に
・無関係な人を
・無差別に
・大量殺人できる
ような身勝手極まりない生き物でも“人”として扱わなきゃダメか?
松本人志が批判を浴びる中、爆笑問題の太田光の発言が「加害者側に立った意見」「自分に置き換えて語れる人間」として称賛されていたが、だって太田は人を殺してねえからな。
「不良品」発言が呼んだ物議…松本人志と太田光の“同時間帯発言”の余波 – https://t.co/CMM16XN0W8
— アサジョ (@AsaJo_) June 8, 2019
というか、アイドルに暴行を加えたファンやそれを隠ぺいしようとした運営とやらは徹底的に糾弾されるのに、無差別大量殺人を犯したヤツは「加害者側にも理由がある」として寄り添ってもらえるって、何かおかしくないか(ちょっと違うか?)。
「野球U-18日本代表の日の丸自粛ってそこまで悪手だったか? 日韓関係以前におかしなヤツはどこにでもいるしね」
何度も言うが、やはり僕の中では「殺人者であるかどうか」の境界線はめちゃくちゃ大きい。
罪もない人を無差別に殺せるような生き物の思考回路はどうやっても理解できないし、僕の住む世界とは別の場所に存在する“何か”として認識せざるを得ない。
優生思想どうこう、優れているor劣っているではなく、ただ違う。