みんな範馬勇次郎になりたいんだよ。護身? 礼に始まり、礼に終わる? んなわきゃねーだろ。格闘技にそんな綺麗ごと必要ないから

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シーサーイメージ
沖縄で起きた元米海兵隊員による女性遺棄事件について、中山成彬前衆議院議員がTwitterで発言した内容が物議を醸しています。


・武道や格闘技を体育の授業レベルで習ったところで、身長が180cm以上ある元海兵にかなうわけがない
・ましてや武器を持った相手への対策など達人レベルでもできっこない
・格闘技を舐めるな
・最高の護身術は逃げることだ

その他諸々、各所で多くの批判が集中しているようです。

中でも、特に憤っていたのがこの方。


そして、以下のコラムがこの方が発表されたものです。

「中山なりあき「武道必須化で下手に日本女性に手を出すと逆にやられるぞという風評を広めたい」はおかしい!」

この古谷有希子氏という方は有名な方なのでしょうか。
あいにく僕はまったく存じ上げなかったのですが。
 
「那須川天心vsロッタン感想。呼吸するのを忘れたよねw すご過ぎてww パンチの那須川、キックのロッタンかな?」
 
これ、どうでしょうか。

まず、中山氏のTwitterでの発言の真意がこの古谷有希子氏のおっしゃるように、「中学・高校で少林寺拳法、合気道を必修化すれば武器を持った元海兵にも太刀打ちできる」というものだという前提で話を進めます(めんどくせえなぁ。だからTwitterの140文字でややこしい議論するのって不毛なんだよな)。

中山氏の発言の真意が古谷有希子氏のおっしゃる通りだったと仮定して、確かにこの内容には疑問を感じざるを得ません。

学校の授業で護身術をちょっとかじった程度で何かができるようになるわけはないし、武器を持った相手に素手で対抗できるなどと思うのは愚の骨頂です。

多くの方がおっしゃるように「格闘技を舐めるな」という思いとともに、「この中山って政治家、大丈夫か? 大蔵省出身のスーパーエリートみたいだけど……」という感じです。

ただ、古谷有希子氏のコラムにも全面同意できないというか、どこか引っかかるものを感じたのもまた事実です。

なぜだろう、なぜだろうと思い、氏のコラムを何度も読み返してみました。
何度も何度も読み返し、ようやく違和感の正体を見つけることができました

武道、格闘技は精神を鍛えるもの? 人間形成に役立つ? ホントに?

今回の中山氏の発言に対し、こんな意見も見られました。

・武道は精神を鍛えるものであり、相手を威嚇するためのものじゃない
・「礼に始まり礼に終わる」のが日本古来の伝統武道のあり方だ
・心を鍛え、人間形成に役立てることが武道本来の姿であるはずなのに、こんな人に武道を語ってほしくない

これを言うのは非常に勇気がいるのですが、僕はこの「武道は精神を鍛えるもの、人間形成に役立てるもの」という考えを完全なる詭弁だと思っています。

どれだけ身体を鍛えても人間形成はなされませんし、いくら肉体が強くなっても精神的にアレな人はアレなままです。

伝統武道と近代格闘技は違う?
それもまた詭弁です。

伝統武道だろうが近代格闘技だろうが大差はありません。
どちらにせよ、しょせん人体破壊の技術であることに変わりはないし、相手をねじ伏せてドヤ顔するための手っ取り早い方法に過ぎないと思っています。
 
古谷有希子氏の書かれたコラムについては僕もその通りだと思います。
160cmの女性がどれだけ身体を鍛えても、190cm以上ある筋骨隆々の男に勝てるようにはなりません。
もしそんな状況に陥ったら、全速力で逃げた方がいいです。もしくは大声を出した方がいいです。
つまり、学校の授業で本当にやるべきは護身術ではなく陸上かボイストレーニング。そっちの方が数億倍実践的で役に立ちます。

ただ、僕が氏の発言を見て引っかかったのはこれです↓


本人がTwitter上でも発言されていますが、武道の習得が人間形成にも役に立つというご意見。ここに強烈な引っかかりを感じたというわけです。

この方の文章を読んで違和感の正体に気づきました

古谷有希子氏のご意見に強烈に違和感を感じていたところ、少し前に偶然見つけた文章を思い出しました。そして、古谷有希子氏のコラムとその文章を読み比べることによって、違和感の実体を完全につかまえることができた次第です。

「見ず知らずの他人から顔をじろじろ見られる地獄」

このページを作成されている方(山田氏)は長年いじめられっ子人生を歩んできたとのことで、ご自分がどれだけ辛い目にあってきたか、世の中がどれだけ不公平にできているかを赤裸々に語られています。
 
「魔境タイソン・フューリーの帰還。強豪セファー・セフェリとの2年半ぶりの復帰戦。最強ヘビー級のクソ野郎がここにいるぞw」
 
また、どうにかしていじめられっ子から脱却しようとボクシングや少林寺拳法などを習ったものの、運動神経があまりよくないために身に付かなかったとのことです。

「僕の受けたいじめ」

この山田氏の書かれた文章をくまなく読ませていただきましたが、中でも僕の琴線に触れたのがこのページです。

「僕は格闘技好きですが、あまり武道家や格闘家の人を尊敬できません。その理由」

格闘家やケンカが強い人間に対する山田氏の考え方が語られています。
試しに前述した古谷有希子氏のコラムと比較してみましょう
(以下引用)。

●格闘技、武道習得における人間形成について
山田氏↓

よく空手の指導者の人が、「空手を習って、殴りあうことによって殴られる痛みがわかる。それによって他人にやさしくなれる。」というようなコメントをする人が多いです。

しかし僕はそれは9割は間違っているのではと思っています。

僕は、今まで、空手を習っている人を、100人近く見てきました。しかし少なくともその3分の2は、いじめっ子や威張っていて傲慢な人間が多かったと思います。

空手の偉い人たちは、「強くなればなるほど優しくなれる。」という人が多いけど、それはほとんど間違っていると僕は思っています。

僕は基本的に、人間は強い力を持てば持つほど悪い奴になる可能性が高くなると思っています。

古谷有希子氏↓

自分の技の上達とじっくりと向き合うことができるからこそ、自然と先生や先輩に対する尊敬の心も出てきますし、自分よりも体格や体力の弱い人、子どもなどに対して、怪我をさせたりしないように調節したり考えながら教えたりする思いやりも学びます。

●身体能力の先天的優位性について
山田氏↓

たまたま運良く人並みはずれた体格と素質とケンカの強さを持って生まれたから、強者として生きられる

武道家の人たちは、全てでは無いけど、自分の生まれつきの大きな体や強い筋肉や運動神経などに恵まれた、先天的有利を認めたがらない謙虚でない人が大変多いです。

自分は、才能ではなく、努力と信念で強くなったんだと言ってはばかりません。

古谷有希子氏↓

私が学んでいる少林寺拳法では、
〜以下略〜
先生や先輩が懇切丁寧に指導してくれる

あまり「才能」「体格」にも左右されません。背が低い、高い、力が強い、弱い、女性、男性など関係なく、それぞれが自分なりの強さや美しさを目指して練習にはげみます。

(引用ここまで)

これすごくないっすか?
ガクブルじゃないっすか?
 
同じ格闘技、武道を経験してここまで真逆の結論にたどり着くんです。
完全に緋村抜刀斎と志々雄真です。
 
「石井慧がイバン・シュトルコフにKO敗戦。石井の天敵だったなぁ。でも石井慧はもっと評価されていいと思うんだよな」
 
山田氏はこのページの中で「格闘技や武道を習得して強い力を手に入れれば入れるほど傲慢になっていく人間が多い」と言っています。同時に「強くなればなるほど人に優しくなれるというのも嘘だ」ともおっしゃっています。

つまり、件の発言をした中山氏と、それを批判している古谷有希子氏は突き詰めれば同じ場所に立っているとおっしゃっていることになります。

武道を経験して傲慢さに拍車がかかった中山氏、そして武道を経験することによって人間形成にも役立つと考える古谷有希子氏。
長年いじめに苦しんだ人間から見ればどっちも大して変わらん、どっちも十分幸せな側にいる人間じゃん。そう言っているように僕には感じられました。

「武尊vs小澤感想。やっとわかってきたじゃねえかK-1。大事なのはああいうわけのわからん熱量だよ」

なれるもんならみんなが範馬勇次郎になりたいんだよ

もう十分伝わったかと思いますが、僕の考えは断然山田氏寄りです。
もちろん細かい部分で全面同意というわけではないのですが、語彙の少ない僕の考えを見事に代弁してくれていると思います。

僕はボクシングを初めとした格闘技が好きです。ですが、それが人間形成に役立っているとはこれっぽっちも思っていません。
上述のように「格闘技や武道で精神を鍛える」だのと言っても、結局は他人をねじ伏せるための技術の習得に過ぎない。武道や格闘技の腕が上達したからといって人間性が向上することはない。そう思っています。

もし人間的に優れた格闘家、武道家がいるのであれば、それは別に格闘技をやっていたから人間性が向上したのではありません。単純にその人がいい人だったというだけの話です

つまり、才能と体格に恵まれていれば誰もが範馬勇次郎になりたがる、「最強の俺、すげえだろ?」と言いたがるということです。

これが、僕が古谷有希子氏のコラムに感じた強烈な違和感の正体でした。

そして、山田氏の文章の中で最も僕の心に突き刺さったのが以下です。

(引用ここから)
はっきり言って、武道家や格闘家の人たちは、ほとんど社会貢献していないと思います

ただ、格闘技ファンを楽しませているだけで、それ以外は何も貢献していないと思います。
(引用ここまで)

大事なことなのでもう一度載せます。

(引用ここから)
武道家や格闘家の人たちは、ほとんど社会貢献していないと思います
(引用ここまで)

 

2014年末の中指立て騒動で思ったこと

これは以前の記事でも書いたのですが、2014年末の格闘技イベントで某選手が退場間際に中指を立てて騒動になったことがありました。

「格闘技を生で観戦してはいけない理由」

この某選手の行為に対して、ある元女子格闘家が激しく憤りました。それに煽られる形で、Twitter界隈がちょっとしたざわつきを見せたヤツです。

元女子格闘家は中指を立てた某選手に対し、

・礼儀作法、平常心の鍛錬
・自分の道場生や子どもが〜
・格闘技を通じて人間形成をしていかないと〜

先のテンプレのような批判を展開しました。

当時、僕はこの元女子格闘家の発言に心底辟易したことを覚えています。
「礼儀作法」やら「人間形成」などという理想論を述べるのは自由です。好きなだけやってください。
ただしアマチュアで

人体破壊をショービジネスにまで昇華させる過程で、こういう綺麗ごとって必要でしょうか。
せっかく某選手が暴走して因縁を生むきっかけを作ったのだから、それをアングルにしてストーリーを展開すればいいんじゃないの? そこから盛り上げる方法はいくらでもあったんじゃないの? 行為の是非をどうこう言うより、それを利用して注目を集める方法を考えた方がよっぽど建設的じゃないの?

個人的に、日本の格闘技界にはそれくらいの懐の広さを見せてもらいたいと思っています。
というより、そのくらいの思い切りがないと日本の格闘技は不人気コンテンツから脱却できないのではないでしょうか。

まあ、さすがに先日の「水のたっぷり入ったペットボトルを実況席に投げ込む」のはやり過ぎたとは思います。テンションが上がったのかは知りませんが、某選手もちょっと超えちゃいけない一線を超えてしまいましたね。

今回の古谷有希子氏のコラムを読んで、2014年大晦日をちょろっと思い出したという余談でした。
 
「日本相撲協会の暴力禁止規定要旨がオモロ過ぎませんかねw 足りなかったのは自覚じゃなくて一般常識()だろ?」
 

中山氏、そんなことより車で吹っ飛ばされたんかい!!

件の中山氏のTwitterでこんな発言がありました↓


とりあえず「大使館前に大型車がすっ飛んできて、そこにいる人間を弾き飛ばす」という状況の方がよっぽどアカン気がするんですが。

いや、もちろんこれも余談です。

ん〜、いかんですね。
ちょっと吠え過ぎたか……。
やっぱり夜中に文章を書くもんじゃないですね。

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