尾木ママが「北海道小学生置き去り騒動」の子どもの実名を連呼しとるんだが、アレはいいのか? あのおっさんがどうなろうが知ったこっちゃないが。しかし批判100万ってすげえな

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北海道滝イメージ
尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏のブログが炎上しているという。

北海道七飯町で起きた少年置き去り・行方不明事件に際し、尾木直樹氏が少年の親に対して「(本当に置き去りなのか)疑いたくなってしまいます」「間違いなく逮捕される」などの批判をブログ上で繰り返す。
そして、少年が無事に発見されたあとは「良かった、良かった!!」「見つかりましたよ!見つかりました!!」と、喜びを爆発させるエントリを投稿。

これに対し、Twitterや掲示板などインターネット上で「父親に謝罪するべき」「教育評論家とは思えない」といった批判が渦巻き、「2日間で100万件以上の批判」が寄せられたことを本人が明かしている。

尾木ママ炎上をまったく知らず。たまたま批判コラムを見つけて「あ、そうなの?」

まず最初に、僕はこの炎上騒ぎを今日までまったく知らなかった。
たまたまポータルサイトを開いてトップページに表示されていた下記のコラムを見つけ、タイトルに釣られてクリックして初めて知ったという経緯である。

「<尾木ママのブログはただの暴力?>なぜ尾木直樹氏のブログは炎上するのか」

このコラムをパッと見た瞬間に思ったのが、
「長えなオイ」。

実際に読んでみたところ、ずいぶんと大々的な理論が展開されていることに驚き、おののいてしまった。軽く読み飛ばすつもりで開くと後悔するヘビーな内容である。
とりあえず、このコラムの書き手である藤本貴之という方を侮っていたことを反省したいww

そして、読み終わった後に、
「おいおい、こんな批判記事が出るほどエグイことをブログに書いてんのか、あの尾木ママとかいうおっさんは」。

そう思い、実際に尾木ママのブログを訪問し、批判の対象になったと思われる記事を一通り読んでみたというわけである。

そんなに炎上するほどのもんか? こんなゴミ文章にカリカリする必要あるか?

ブログを読んだ率直な感想を申し上げると、

「そんなに炎上するようなもんか?」
「こんな豪快な批判記事で反論するほどか?」

上記のような批判記事が出るくらいだから、この尾木ママというおっさんはさぞかしご大層な理論を展開されている方なのだろうと思っていた。「教育評論家」の肩書きを持つ人間らしい高尚な理論を展開されているのだろうと思っていた。

しかし実際は何のことはない。無駄にテンション上がったおっさんがヒステリックに感情をぶちまけているだけのゴミブログである。

「タレントが立候補するとすげえ批判されるけど、なんでそんなにイラついてんの?」

仰々しいタイトルで釣っておいて中身はスッカスカ。
何だアレ? 携帯で更新してんのか?
というか、アレは「○○論」と呼んでいい代物なのか?
この藤本貴之という方の批判記事のがはるかに長いし内容も濃いじゃねえか。

いろいろ調べていくと、尾木ママというおっさんは今回の騒動について「Twitterなどで部分的にかいつまんで拡散された」とおっしゃっているとのこと。どうやら断片的に伝えられて真意が捻じ曲げられたと考えているようである。

え? そうか?
僕にはこのブログ自体がかいつまんだ内容にしか見えないのだが。

僕は日ごろからTwitterで議論をすることに反対の人間である。
Twitterはあくまで140文字の吐き捨てツールであって、思いつきをそのまま投稿することに意義がある。TLがどんどん流れていく中でややこしい議論をするにはTwitterは明らかに不向き。もし議論をしたいなら文字数制限のないブログなどのメディアを使うべき。常日頃からそう考えている。

「Twitterで実名を名乗れ、匿名で好き勝手言うなという傲慢」

だが、この尾木ママに関しては「Twitterで十分じゃね?」としか思えない。

いちいちそれっぽいタイトルで訪問者を煽って中身スッカスカのクズ文章を読ませる。
これ、ブログでやる必要あるか?
それこそTwitterでやればいいんじゃねえか?
アクセスを集めたいから「評論家」の肩書きで一応それっぽくしてるってこと?
よくわからん。

まあ、確かにあのおっさんが何食ったとか「今日の衣装です」とか言って写真を載せられてもまったく興味はわかないが。

そんなことより、このおっさんが「少年の実名を連呼している」ことにびっくりするんだが






確かに「尾木直樹という著名人」が無責任な発言をして、その言い訳が「個人のブログだから」(と藤本貴之氏はおっしゃっている)。これが通用しないのはわかる。
そして、批判記事中に述べられている「著名人のブログはもはや『メディア』であり、他人を社会的に抹殺することが可能な暴力的なものにもなりえる」という理論も理解できる。

そういった諸々の言い分を理解した上で、
「やるならもう少し次元の高いところでやってくれねえかな」
という思いが強い。

言いたいことはわかる。
藤本貴之氏の言う「著名人は自分の発言、言動が公的な意味合いを持つことを意識すべき」というのは本当にその通りだと思う。

ただ、それでも「この便所の落書きレベルのクズブログにいちいち突っかかるって、しんどくね?」「ほっときゃいいんじゃね?」と思ってしまうのである。

そんなことより「この尾木ママというおっさんがブログの中やタイトル上で少年の実名を連呼してるけど、それはいいの?」という疑問の方がはるかに大きいのだが。

「「相手への敬意が足りない」人間と遭遇した際に僕が実行した4つのこと」

被害者の実名って相当気を使うべきことじゃないの? 「教育評論家」とやらがやっていいことなの?

この尾木ママというおっさんのブログには「記事を一覧表示」してタイトルだけを表示する機能がついているのだが、ぜひとも一度やってみてもらいたい。愕然とするから。

驚くことに舛添やオバマ、トランプ、清原に並んで、当たり前のように例の少年の実名が出てくるのである。

被害者の実名報道については賛否両論あり、中には一概に「悪」だとも言えないのではないかとおっしゃっている方もいるようである。

「被害者の実名・人となり報道、本当にやめてよいの? ~川崎市少年殺害事件からいち主婦(?)の考えた被害者報道の意義~」
「佐世保女子高生殺害「報道」のナゾ――なぜ被害者「実名」、加害者「匿名」なのか?」
「なぜ被害者「実名」、加害者「匿名」なのか?の答え」

この実名報道についてあれこれ言うのはここでは控えておくが、どちらにしろ被害者(と呼んでいいのかもわからないが)の実名を出す際には細心の注意を払う必要があることは理解できる。

今回の少年の実名はすでに散々報道されているので、僕自身も何度も耳にしている。その手前、ここまでナチュラルに連呼されるとすんなりと入ってきてしまう部分はある。
だが、仮にも「教育評論家」の肩書きを持ち、「とにかく家族全員の心のケア体制を」などとのたまっている人間が平然としていいことなのだろうか。

申し上げた通り、件の「メディアの暴力」云々の話はどちらかというと「大げさ過ぎじゃね?」という思いが強い。概ね理解はできるものの、そこまで大ごとにしなくてもええんちゃうか? と思っている。

「中学高校のマラソン大会を廃止する方法←「あの行事の存在が許せない」人のために」
そして、この尾木ママというおっさんが今後どれだけ批判にさらされようが、活動に支障をきたそうがどうでもいい。僕の中では「ヒステリックなおっさんのたわごと」として解決している。

だが「教育評論家」を名乗り、大学で講演などをこなすような人間が、当たり前のように被害者(と呼んでいいのかもわからないが)の、しかも未成年の実名を出しまくるという事実。これが僕には理解できない。
そして、尾木叩きに夢中でその部分にいっさい触れようとしないメディアについてもまったくもって意味不明である。

何なの一体?
俺の住んでる世界とは別のところで起きてることなの?

いくら考えてもわからない。
誰か教えてすごい人。

しかし100万件ってすげえな。
1回でいいから、そんな天文学的なアクセス数を見てみたい。

まあ、僕のゴミメンタルでは耐えられる自信がないが。

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